August 2022

THE ORIGINAL MODFATHER

世界一お洒落だった名ドラマー

このスタイリッシュなドラマーが、やさぐれたロック・バンドの中で注目されるようになるには少し時間がかかった。
信念を貫いた彼は歳を重ねるほどに輝きを増し、やがて世界から尊敬の念を集めた。
text james medd

Charlie Watts / チャーリー・ワッツ1941年ロンドン生まれ。60年初頭にブルースバンドのドラマーとして活動開始。1963年にザ・ローリング・ストーンズに加入。そのドラミングは非常に独創的で、ストーンズ以外ではジャズ・バンドを率いてソロワークを展開。また、愛妻家や趣味人、ファッション好きとしても知られ、英米の新聞や雑誌が選ぶベストドレッサーに選ばれることも多々あった。2021年8月に80歳で死去。

 ザ・ローリング・ストーンズにおける彼の個性が、正当に評価されるようになったのはいつだっただろうか。1960年代、まずはミック・ジャガーが痩せた多動なフロントマンとして注目された。まるで漫画の世界から飛び出してきたようなカッコよさだった。70年代にはキース・リチャーズにその座が移り、その後20年にわたりロックミュージックの魂を体現するギタリストとしての地位に君臨した。しかし1997年、ニューヨーク・ブルックリン橋の下で4人が集まって『ブリッジズ・トゥ・バビロン』のツアーを発表したとき、世界のファンが同時に、「実はずっとチャーリー・ワッツが一番クールだった」ことに気づいたようだった。

 それは“撮影”だったのだから、外見が大事だったのはいうまでもない。ジャガーはブルーのノーカラージャケット、リチャーズはボブ・マーリーのTシャツ、ロニー・ウッドはツイードブレザーを身に纏い、ボサボサの髪型でサングラスをかけていた。そんなメンバーとは対照的に、ワッツは異彩を放っていた。ブルーのダブルブレステッド・スーツにブローグ・シューズ、そしてナチュラルなグレイヘア。悪意はまったくなかっただろうが、他のメンバーが馬鹿馬鹿しく見えるほど、格段にエレガントな姿だった。いつも人前では照れ笑いをしながらも、自分の好きなものを貫き通し、他人がどう思おうが気にしない。静かに自信を持っている、そんな紳士に見えた。この中のひとりが“クール・アンクル”になるとしたら、それはチャーリー・ワッツ以外にあり得ない、世界はそう考えた。

 以降、2021年8月に亡くなるまでの約20年で、ファンのワッツへの好意は敬愛へと変わっていった。裏方に徹していた彼こそが、この世界一のロック・バンドに欠かせない存在だったことがはっきりしたのだ。音楽的にマニアックなファンは、彼のドラミングにずっと注目していた。ワッツは2・4拍目よりも1・3拍目を強調し、安定したリズムを刻みつつも著しくルーズなスタイルで演奏するのだ。これによりバンドに力強く特徴的な“揺らぎ”をもたらした。

1986年のザ・ローリング・ストーンズ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 45
1 2

Contents