The OLD Romantics

オールド・ロマンティックス:デュラン・デュラン

December 2022

確かに、彼らが望んだよりも長い時間がかかった。しかし名作アルバム『リオ』のリリースから40年の時が経ち、デュラン・デュランは、1980年代のライバルたちとは比較にならないほどの“レガシー”を築き上げた。
text stuart husband

デビューから間もないデュラン・デュランのメンバーたちを写したスタジオ写真。左から、ニック・ローズ、ジョン・テイラー、サイモン・ル・ボン、ロジャー・テイラー、アンディ・テイラー(1981年)。

 サッチャー政権下の1980年代がまだ始まったばかりだった1982年5月10日、デュラン・デュランはセカンド・アルバム『リオ』をリリースした。このアルバムは時代における最高傑作に思えた。

 太陽のようなエキゾチックなタイトル。イラストレーター、パトリック・ネゲルが描いた艶やかなセイレーンの鮮やかな紫のジャケット。そして、アルバムのタイトル曲でカーニバル的快楽主義を歌った『リオ』から、臆面もない欲望を描いた『ハングリー・ライク・ザ・ウルフ』まで、素晴らしい曲が揃っていた。

 このアルバムは、3曲の大ヒット・シングルを生み出し、アメリカではダブル・プラチナを獲得した。デュラン・デュランは80年代半ばに英国のアーティストがアメリカのチャートを席巻した現象“第2次ブリティッシュ・インベイジョン”の先鋒となったのである。デュラン・デュランには、“デュラニー”と呼ばれる熱烈なファンを生み出した。彼らは世界的な人気を博していた。

 しかし、マスコミには評価されなかった。『ヴィレッジ・ヴォイス』誌は、“功利主義のアングロディスコ”と切り捨てた。『レコード・ミラー』誌は、“偉大なレコードに必須の魂、情熱、ウィットがない”と断言した。当時、ポップスの週刊誌で働いていた筆者でさえ、そんな風潮に乗らざるを得なかった。『プリーズ・テル・ミー・ナウ』か『セイヴ・ア・プレイヤー』を皮肉って、当時の私はこう書いた。

“デュラン・デュランは、こんな曲は寝ている間に仕上げてしまうだろう。そして彼らが不眠症でないのが残念だ”

THE RAKE JAPAN EDITION issue 47
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