THE MAN WITH THE HORN : MILES DAVIS

ホーンを持つ男:マイルス・デイヴィス

June 2022

ジャズの帝王と呼ばれたマイルス・デイヴィスは、その舌鋒の鋭さと、それ以上に鋭い服装のセンスで知られている。
彼はどのようにして、音楽界の流れを変え、ジャズ・ミュージシャンの服装を決定づけたのか?
text ben st george

Miles Davis / マイルス・デイヴィス1926年、イリノイ州生まれ。父は歯科医で、裕福な家庭に生まれた。12歳からトランペットをはじめ、18歳の頃、チャーリー・パーカーとの共演を果たす。その後名盤『クールの誕生』を制作。59年の『カインド・オブ・ブルー』、69年の『ビッチェス・ブリュー』をはじめ、数々のアルバムをリリース、さまざまな演奏スタイルを生み出し、ジャズの流れを変えた。最終的にはソウル~ヒップホップまで辿り着いた。1991年死去。

 マイルス・デイヴィスは生前、「伝説の人とは思われたくない」とはっきり言っていた。しかし亡くなってから30年も経ち、彼にまつわる話は、あまりにも伝説的になってしまった。

 1987年、当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンは、ホワイトハウスの晩餐会にデイヴィスを招待し、ファーストファミリーや他のゲストと一緒に食事をしたという。多くのゲストは、偉大なジャズ・ミュージシャンであるデイヴィスのことをよく知らず、歓迎は温かいものとは言い難かった。ファースト・レディのナンシー・レーガンは、食事中にデイヴィスに向かって、「あなたはどうしてここに招待されたの?」と尋ねた。デイヴィスは身じろぎひとつせず、こう返した。

「ああ、俺は音楽の流れを5、6回ほど変えたんだ。ところであなたは何をしたんだい? 大統領とファックした以外でね」

 バンドリーダーであり、天才的なトランペット奏者であり、社会批評家であり、スタイルアイコンであり、TVドラマ『マイアミ・バイス』(1984〜89年、デイヴィスが出演したのは、シーズン2)のゲストスターであり、世界で一番おいしい“チリ”の作り手であったといわれている。

 デイヴィスは、複雑な人物であった。卓越した才能を授かり、他のミュージシャンにはないクリエイティビティを発揮したが、一方でよく知られているように、意地の悪い面も持っていた。友人で伝記作家のクインシー・トゥループはこう語っている。

「デイヴィスは、実に人間的で思いやりがあり、面白い男だった。だが逆らうと、邪悪なクソ野郎に豹変することもあった」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 44
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