March 2021

THE CHASE OF THE THRILL

アルフォンソ・デ・ポルターゴの速く、短い生涯

text nick scott

ポルターゴと妻キャロル・マクダニエル。リヴァプールのエイントリー競馬場にて(1950年)。

 彼らは2日目にエンジンブローでリタイアしてしまったが、アルフォンソはレースに夢中になってしまった。彼はすぐに3リッターのフェラーリ250MMを購入した。そしてアメリカ人ドライバーとして初めてF1グランプリに参戦したハリー・シェルとともに、アルゼンチンでブエノスアイレス1,000kmレースに出場した。

 その後のレースにおける戦績は、傑出したものだった。ナッソー・トロフィーでの2勝、ツール・ド・フランスとポルトガルGPで2勝を上げ、フェラーリで5つのF1レースに参加した。

 1955年のシルバーストーンでのイギリス・グランプリでは、路上のオイルに滑り、コントロールを失ったクルマから投げ出されたが、奇跡的に足を骨折しただけで済んだ。翌1956年にはイギリス・グランプリで、チームリーダーのファン・マヌエル・ファンジオに次ぐ2位でフィニッシュし、レーサーとしてのピークを迎えていた。

 気まぐれでレースを始め、それまでマニュアルギアボックス付きのクルマを運転したことがなかったにもかかわらず、彼のキャリアは驚くべきものだった。そして彼の存在は、データよりも“やりたいことをやる勇気”が大切だった時代のモータースポーツへの哀悼を誘うのである。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 38

続きはIssue38にてお読みいただけます

お得な定期購読<紙版・デジタル版>はこちらより

1 2 3 4

Contents