June 2023
THE ART OF MAKING IT
アメリカを富める国とした一族たち
90歳の誕生日を祝うジョン・D・ロックフェラー・シニア。ニューヨーク、ポカンティコ・ヒルズにある邸宅で(1930年)。
ロックフェラーの功罪 “クリスティーズは、デイヴィッド・ロックフェラー(1915~2017年)とペギー・ロックフェラーの世界的コレクションのオークションハウスとして選ばれた。膨大な品々は、2018年5月にニューヨークの中心地、ロックフェラー・センターにある当社の旗艦オークション会場で販売される予定。収益は、デイヴィッド・ロックフェラーの遺志に基づき、夫妻が長年支援してきた文化、教育、医療、環境のために使われる”
出品されたのは、マティス、ピカソ、スーラ、ゴーギャン、マネ、シニャック、コロー、ゴッホ、サージェント、デ・クーニング、モネなどの作品。それぞれが何百万ドルもの価値を持つ絵画たちだ。
このリストを見ると、ロックフェラー一族の富がいかに巨大だったかがわかる。しかし、彼らにとって美術品はあくまでも趣味であり、お金をかけたもののひとつに過ぎなかった。1920年代、ロックフェラーの名は、古代リディア王国最後の王クロイソスに代わって、限りない富の代名詞となった。
アーヴィング・バーリンの同名曲を使った映画『踊るリッツの夜』(1930年)では、ロックフェラーの名が上流階級を象徴するものとして歌われている。“ロックフェラー一族に交じって手袋をして、ステッキや傘を持って歩こうリッツみたいに着飾って!”
そしてもちろん、ロックフェラー・コレクションが売りに出された場所は、一族の本拠地ロックフェラー・センターだった。マンハッタンにそびえ立つアール・デコ様式の摩天楼である。1929年の株式市場の大暴落によって他の人々が一掃される中、ジョン・D・ロックフェラー・ジュニア(1874~1960年)が、マンハッタンのミッドタウンに建設したものだ。世界恐慌の真っただ中、のべ4万人が建設に従事した。