March 2021

TALKING 'BOUT A REVOLUTION

輝ける命の刹那 Part 2
激しく駆け抜けた女性たち

今は女性レーシングドライバーも珍しくない。
男性優位だったモータースポーツ界で新たな道を切り開き、
性差別を乗り越えた麗しき女性たちに敬意を表したい。
text david smiedt

1960年代にF3や英国のサルーンカー選手権に出場したオランダ人ドライバー、リアーヌ・エンゲマン。

 モータースポーツの伝統の多くは、現代社会の流れから取り残されてきた。例えば、このスポーツはどの点から見ても圧倒的に白人が多い。ルイス・ハミルトンが黒人ドライバーとしてF1ワールドチャンピオンとなったのは2008年である。また、グリッドガールが21世紀にふさわしくないと上層部が半ば折れる形で判断したのも、僅か3年前のことだ。

 モータースポーツのシーンを振り返り、女性の姿を探してみてほしい。記憶にあるのは、シャンパンを浴びたり、猛スピードで運転するパートナーを見つめながら色っぽく爪を噛んだり、宣伝用のお揃いの服を華やかに着こなして、美しい装飾品を身に着けた女性たちだろう。

 しかし状況は着実にいい方向へと変化している。近年は、ダニカ・パトリック、サラ・フィッシャー、アシュリー・フォース・フッドといった女性たちがモータースポーツの伝統的慣行に立ち向かっている。しかし、彼女たちより先に同じ道を駆け抜けた女性たちがいた。

クロノグラフを愛したインフルエンサー 先人の中でまず特別賞を授与されるべきは、レース界において華やかな美人妻の先駆けとなったニーナ・リントだ。フィンランド人ドライバーのカート・リンカーンを父に持つ彼女は、モータースポーツにどっぷり浸かって育った。そして1967年にオーストリア人F1ドライバーのヨッヘン・リントと結婚。以降、彼女が披露した装いは、白いTシャツ、色落ちさせたハイウエストのデニム、ライム色のスラウチハットが特徴で、レースよりも注目を浴びるほどだった。中でも彼女の所有する時計のコレクションは傑出しており、時計オンラインメディアのWatchonistaが「業界における最初のインフルエンサー」と呼んだほどである。

 彼女がモータースポーツ史に名を刻んだ理由はふたつある。ひとつめは、彼女のクロノグラフが単に見せびらかすためのアイテムではなかったこと。レースの時期になると、彼女の写真はラップタイムを入念かつ周到に記録する姿がほとんどになった。ふたつめは悲劇性を帯びていること。夫のヨッヘンは1970年のイタリアグランプリ予選での事故で死亡したが、それまでに獲得したポイントを超える者が現れなかったため、死後にチャンピオンとなった初めてのF1ドライバーとなったのだ。このとき、やつれながらも不屈の表情で彼のトロフィーを受け取ったのが、ニーナだった。

シャーリー・マルダウニー(1973年)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 38
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