March 2021

TALKING 'BOUT A REVOLUTION

輝ける命の刹那 Part 2
激しく駆け抜けた女性たち

text david smiedt

ヨッヘン・リントと妻ニーナ(1970年)。

輝かしい成績を残した女性たち フェンスの反対側に目をやると、女性は珍しい存在となる。これは奇妙なことだ。理想的な走行ラインを走ったり、シケインをうまく切り抜けたり、最適なタイミングでアクセルを踏んで対戦相手を追い抜いたりするのに、子宮の有無は関係ない。スピードを自在に操り、数々の軟弱な男性レーサーを後塵でむせさせた彼女たちを、今こそ称賛すべきである。

 オランダ人ドライバー、リアーヌ・エンゲマンもそんな女性のひとりだ。1947年にハールレムで生まれた彼女は、タクシー会社のオーナーの娘で、15歳で既に高い運転技術を持っていた。

 最初のマシン(MINI)から1200ccのフォーミュラVeeにアップグレードしたエンゲマンは、60年代半ばにイギリスのアラン・マン・レーシングチームに加わり、イギリスのサルーンカー選手権に次々と出場。マシンはヒルマン・インプで、コンスタントに5位以内でフィニッシュした。彼女が毎日のように冷笑され、流し目で見られ、能力を疑問視する言葉や雰囲気に晒されたことを思うと、この結果は快挙であるといえる。

 やがて彼女はF3のグリッドに並ぶことになった。そこでは、彼女と同じくステレオタイプを打ち破ったジャネット・ガスリーとともに、セブリング12時間レースでも2度戦った。走路と疲労に対処するだけでも負担は大きいはずだが、彼女たちは出場ドライバーのポール・ホーキンスから露骨な性差別を受けた。ホーキンスは8時間が経過した時点では首位だったが、ガスリーとエンゲマンのマシンを避けるために急ハンドルを切ったポルシェに衝突してしまったのだ。ホーキンスは牧師の息子だったが、こんな言葉を投げかけた。「あれはポルシェのせいじゃない。あの女どものせいだ。まるで葬式に行く途中のような運転だったじゃないか。女の居場所はキッチンだ。キッチンにいないときは揺りかごの面倒を見ているべき。そうでもないときは、ベッドにいるべきだ」。

 エンゲマンはヨーロッパの主要なモータースポーツのほとんどに挑戦した。ル・マン24時間レースに出場し、公道レースのタルガ・フローリオでポルシェ 911を走らせ、ヨーロッパツーリングカー選手権では4位でフィニッシュ。彼女のもとには多くの銀杯が集まった。

レースカーに寄りかかるジャネット・ガスリー。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 38
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