SLAVE TO LOVE

孤高の天才、プリンス

September 2016

text stuart husband
Issue12_P50

ミネアポリスのダウンタウンにて(1977年)
ROBERT WHITMAN/THELICENSINGPROJECT.COM

あらゆる楽器を操る天才 4月にプリンスが不慮の死を遂げて以来、「天才」という言葉を頻繁に耳にするのは、彼に対して他に適切な表現がないからだろう。手元の辞書には、「並外れた知的能力や創造力などの生まれ持った能力」と定義されているが、これはプリンスの類い稀な才能をほんの一部しか言い表していない。

 LOVESEXYツアーが行われたのは、『Purple Rain』『Around the World in a
Day』『Parade』『Sign o’ the Times』『Lovesexy』と5つの素晴らしいアルバムを次々にリリースしたあとだった。彼はジミ・ヘンドリックスのようにギターを奏で、リトル・リチャードのようにピアノを弾き、デヴィッド・ラフィンのようなハスキーボイスで歌うことができた。

 その影響力はトータルコーディネイトされた独特のスタイルにも及んでいた。しかも、情報が氾濫する現代にありながら、彼は死ぬまで謎めいた存在であり続けた。ヴィクトリア朝時代の哲学者、ジョージ・ヘンリー・ルイスが残した「天才は自らが辿るプロセスを説明できない」という名言を彷彿とさせる。

 結局のところ、私たちはプリンスのことをどれほど知っているのだろうか? 誰もが知っているのは、彼がジャズ・ピアニストだった父親の芸名プリンス・ロジャーにちなんで名付けられたことだ。父は息子に自分の夢を託したという。

 10歳のときに両親が離婚するなど、ミネアポリスで波乱万丈の幼少期を過ごしたが、彼は神童だった。7歳で初めて作曲し、19歳でワーナー・ブラザーズと契約。翌年にリリースしたデビューアルバムでは、なんと27種類もの楽器を自ら演奏したのだった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 12
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