SKIN DEEP
海底に200年間眠る幻のロシアン・レザー
April 2015
ジョージ クレバリーで作られたロシアン・レザーのレースアップブーツ。同レザーは通常のカーフの約2倍の厚みがあるため、カントリー調のモデルと相性がいい。ロンドンのクレバリーの店でロシアン・レザーの靴をビスポークすると、オックスフォードで£3,750~、ブーツで£5,000〜 gjcleverley.co.uk
200年前の沈没船に眠る幻のロシアン・レザー“古靴のように心地よい”という言い習わしを基準にするならば、写真の靴は足の専門医が夢に見るような品だ。麻と革を積んでサンクトペテルブルクからジェノヴァへ向かう途中、イングランドの南岸沖で沈没したディー・フラウ・メッタ・カタリーナ・フォン・フレンスブルク号(Die Frau Metta Catharina von Flensburg、通称メッタ・カタリーナ号)の話は、多くの読者が耳にしたことがあるだろう。
しかし、それがどんな革であったか、あるいは、その上等の積み荷がいかにしてG.J.Cleverley&Co(ジョージ クレバリー社)に行き着いたかをご存じの方は少ないはずだ。
1786年12月10日の夜、デンマークのブリガンティン型帆船、メッタ・カタリーナ号は強風に見舞われた。同船は建造後4年しか経っていないうえ、船首側と船尾側の両方を錨で固定していたが、荒天を耐え抜くことはできなかった。
事故当時、メッタ・カタリーナ号は、帆船隊用のロープやひもの原料である麻をヴェネツィアのロープ製造所へ運ぶ途中だった。同船はその後、ジェノヴァへ革を届けることになっていた。近隣地域から調達できたはずなのに、ジェノヴァの人々はなぜロシアの革を欲しがったのか?
彼らは単に革が欲しかったのではない。高い防虫性と防水性を誇る革だからこそ欲しがったのだ。ジェノヴァの人々は、その製法と効果について知っていた。数年前までウクライナに交易拠点を有し、オスマン帝国と交易していたからだ。
本記事は2015年1月24日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 02