February 2021

NATURAL MYSTIC

ボブ・マーリー
自然の神秘

text stuart husband

ドキュメンタリー映画『ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド』(2012年)でのマーリー。

 当時のマーリー家は、ボブの親友バニー・ウェイラーと彼の父と同居していた。バニーが手作りでギターをこしらえると、隣人のピーター・トッシュが使い古したギターを持ってきた。3人はザ・ウェイラーズと名乗り、アメリカ的なソウルミュージックのハーモニーと、ジャマイカ生まれのスカの小刻みなリズムを融合させ、細身のスーツでギャング風の装いを身に纏い、地元のクラブで演奏した。

 1963年の暮れには、ジャマイカのモータウンと評されるレーベル、スタジオ・ワンからシングル「シマー・ダウン」を発表。初のヒットとなるが、その後の状況はがらりと変わる。アメリカのデラウェア州へ移住していたセデラが、息子を呼び寄せたのだ。

 マーリーはデラウェアで、研究所の助手をしたり、工場の組立ラインで働いたりして、自身のレーベルを設立する資金を稼いだ。ただ、彼は何もかもがあまりにも騒がしいアメリカを好きになれなかった。バビロンともいうべき大都市で、肉体労働に携わり、苦労した経験も一因となったのか、ジャマイカに戻った彼はラスタファリ運動を信奉するようになる。千年王国説に基づくアフリカ中心主義の運動として共同体精神と厳格な自然食を重視するこの運動が、マーリーに新たな息吹を吹き込んだのは間違いない。

1978年のライブアルバム『バビロン・バイ・バス』で賞を受賞。

本記事は2020年11月25日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 37

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