August 2020

LIVE AND LET LIVE

アーカイブが語る007

text nick foulkes photography kim lang
special thanks to Eon Productions and the London Film Museum

『007/オクトパシー』のためにアスプレイが制作したファベルジェの卵。内部には馬車のデザインが施されている。オークションのシーンで使用された付属のカタログも。

 原作とは異なる個性を映画版にもたらす決め手となったのが、アダムによるセットだった。第5作『007は二度死ぬ』(1967年)のために、かつてフレミングが日本で雇ったガイドを伴って下見が行われた際、こんなハプニングがあった。

「ガイドはフレミングが訪問したすべての場所にアダムを連れていってくれたのですが、ほどなくして、一行は小説に登場する場所が実際には存在しないことに気づいたのです。それから、彼らは原作とは違う道を進み始めました。原作にある城は見つからないけれど、休火山を使えば素晴らしい要素になるんじゃないか、とケン・アダムは思いついたんです。ですからあの映画は小説版の再現度が高くない初めての作品ではないかと思います」

 70年代になると、原作からの逸脱は定着していた。1954年の小説『007/死ぬのは奴らだ』は、端的に言えば密輸された海賊の黄金にまつわる物語だが、その19年後に誕生した映画版は、文化の盗用をテーマにした随筆のようだった。舞台となるニューヨークの街には轟音を響かせながら走るピンプモービル(派手な改造車)が溢れ、脚本には“名前ってのは墓石に刻むためにあるんだぜ、ベイビー”といった調子の台詞ばかりが並ぶ。

 しかし、それでも同作はやはりボンド映画だった。大きな要因は、ムーアがフレミングの型を保つために最善を尽くしていたことだ。例えば彼は、シリル・キャッスルが1972年に仕立てたベルベット襟のオーバーコートを着用した。スタイリングのディテールに違いはあるものの、このコートはちょうど10年前にアンソニー・シンクレアがショーン・コネリーのために仕立てた濃紺のオーバーコートや、四半世紀後にブロスナンが身に着けたブリオーニのバージョンと同じである。作品内の装いの伝統が持つ真の力は、この3点の衣装を一列に吊り下げて眺めることで初めて理解できるのである。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 35
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