GREEK TRAGEDY

悲劇の歌姫、マリア・カラス

November 2018

text stuart husband

Maria by Callas映画『私は、マリア・カラス』
これまで封印されてきたマリア・カラスのプライベートな手紙や秘蔵映像、音源を、映像作家トム・ヴォルフが3年をかけて入手。劇中の半分以上を初公開の素材とするドキュメンタリー映画が今冬日本公開される。没後40年にして初めて公開される未完の自叙伝によって、スキャンダルやバッシングの嵐の中でもプロフェッショナルとしての信念を保ち、倒れても歌うことを諦めなかった彼女の壮絶な人生が明らかになる衝撃作。
監督:トム・ヴォルフ
出演:マリア・カラス、アリストテレス・オナシスほか
配給:ギャガ

 50年代半ばには体重が半分近くにもなる36キロも減量した。スタイルがよくなったことでさらに人目を引くようになり、単なる典型的な美人にとどまらない歌姫の魅力はさらに高まったが、高音域が不安定になり歌唱力が急激に衰えて、息切れするようになったのは無理なダイエットのせいだと考える人も少なくなかった。最も、体型がどうあれ、カラスほど身体を酷使すればどんな喉でも耐えられなかっただろうし、いずれ何らかの犠牲を払うことは彼女も薄々わかっていただろう。「私の横隔膜は生理的な不調によって力を失い、勇気や大胆さを失った」と彼女は1977年のインタビューで語っている。

 その頃には、カラスは夫を捨ててオナシスのもとに走っていた。傍から見れば、行き詰まりつつあるキャリアからの逃げ道をオナシスが用意したと言えなくもない。だが、彼はやがてカラスを袖にして、1968年にジャクリーン・ケネディと結婚してしまった。このことが公になると、彼女は既に距離を置こうとしていた世間からさらに遠ざかることになる。もはやカラスは自らの立場について何の幻想も抱いていなかった。「私はまず声を失い、容姿を失い、そしてオナシスを失った」。

 晩年はパリで隠遁生活を送り、1977年に53歳の若さで心臓発作のために死去したが、彼女の神々しい存在感は未だに色褪せていない。1998年のアップルのポスター“Think Different”に登場したり、シンガーソングライターのルーファス・ウェインライトが、カラスの生涯をモチーフにした歌劇『プリマドンナ』を手がけるなど、あらゆる人々にインスピレーションを与え続けている。また、2007年にはBBCミュージック・マガジンでオペラ評論家が史上最高のソプラノ歌手に選出するなど、死後も数々の賞が追贈されている。「私は敵を倒すのではなく、ひざまずかせる」と本人が語っていたように、マリア・カラスはいつまでも崇拝される、傲慢で奔放な永遠の女神なのだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 25
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