August 2018

FERRARI 340 AMERICA VIGNALE SPYDER
ON THE RISING ROAD OF EMPIRE

伝説となった跳ね馬

text jared zaugg
photography pawel litwinski / bonhams

フェラーリのエンジニア、アウレリオ・ランプレディが設計した4.1リッターのV12 エンジン。

 340アメリカは、ひとり乗りの専用レーシングカーではなく、公道も走れるふたり乗りのクルマである。サーキットまで運転し、一日中レースに興じたら、そのまま運転して帰宅できるレーシングカー兼グランツーリスモだったのである。

大きくなるエンジンと成功 340の核となったのは、エンジニア、アウレリオ・ランプレディが設計したV12エンジンだ。V12エンジンは従来のどんなフェラーリのエンジンよりも大きく、スーパーチャージャーのような過給機を使わずに、大排気量ならではのパワーを得た。エンジンは大きければ大きいほど良かったし、レースを重ねるたびに、エンツォの自信も増していくようだった。

 当時のレースは非常に危険なスポーツだった。シートベルトやロールバーもなく、速度を落とすには、貧弱なドラムブレーキを踏み込むか、サイドブレーキを引きながらドリフトするしかなかった。事実、昔のミッレミリアが中止されたのも、死亡事故のせいだった(1957年に起きた衝突事故。ドライバーや同乗者だけでなく、9人の観客まで亡くなり、そのうち5人は沿道で出場者に声援を送っていた子供だった)。

 また、ドライバーたちはコルクで裏打ちした樹脂製のヘルメットしか防具を付けておらず、火のついたタバコをくわえながら運転している様子もよく見られた。340アメリカはスパイダー、つまりオープンカーで、ヴィニャーレというカロッツェリアが昔ながらの手作業で製造したものだ。美しいうえに希少価値があり、生産台数はわずか5台。しかもこれは、ファクトリーチーム仕様に改良された3台のうちの1台なので、同型車よりも40馬力近くパワーアップしている。256馬力のV12エンジンを搭載した340アメリカは、堂々たる体躯の雄馬を彷彿とさせる。エンツォはこれをドライバー、ピエロ・タルッフィの手に委ねた。タルッフィはその時点ですでに、オートバイライダーとしてヨーロッパ選手権を制覇しており、カーレースに活躍の場を移そうとしていた。ひとたび出走すると340アメリカの勢いは止まらず、エンツォが夢見ていた世界制覇を成し遂げた。このような背景を知れば、このマシンが今でも憧れの的になっている理由が分かるだろう。340アメリカは、エンツォのサクセスストーリーを象徴する初期の名車なのだ。

オープントップのボディが魅力。走っているときも止まっているときも美しいシルエットだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 23
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