Thursday, August 23rd, 2018

FERRARI 340 AMERICA VIGNALE SPYDER
ON THE RISING ROAD OF EMPIRE
伝説となった跳ね馬

1952年、エンツォ・フェラーリと彼が育てた跳ね馬を世界制覇への軌道に乗せたのが、
フェラーリ 340 アメリカ ヴィニャーレ スパイダーだ。この公道仕様のレーシングカーは、
20世紀半ばのモータースポーツ全盛期を象徴する名車である。
text jared zaugg
photography pawel litwinski / bonhams

大きくなるエンジンと成功

 340の核となったのは、エンジニア、アウレリオ・ランプレディが設計したV12エンジンだ。V12エンジンは従来のどんなフェラーリのエンジンよりも大きく、スーパーチャージャーのような過給機を使わずに、大排気量ならではのパワーを得た。エンジンは大きければ大きいほど良かったし、レースを重ねるたびに、エンツォの自信も増していくようだった。
 当時のレースは非常に危険なスポーツだった。シートベルトやロールバーもなく、速度を落とすには、貧弱なドラムブレーキを踏み込むか、サイドブレーキを引きながらドリフトするしかなかった。事実、昔のミッレミリアが中止されたのも、死亡事故のせいだった(1957年に起きた衝突事故。ドライバーや同乗者だけでなく、9人の観客まで亡くなり、そのうち5人は沿道で出場者に声援を送っていた子供だった)。
 また、ドライバーたちはコルクで裏打ちした樹脂製のヘルメットしか防具を付けておらず、火のついたタバコをくわえながら運転している様子もよく見られた。340アメリカはスパイダー、つまりオープンカーで、ヴィニャーレというカロッツェリアが昔ながらの手作業で製造したものだ。美しいうえに希少価値があり、生産台数はわずか5台。しかもこれは、ファクトリーチーム仕様に改良された3台のうちの1台なので、同型車よりも40馬力近くパワーアップしている。256馬力のV12エンジンを搭載した340アメリカは、堂々たる体躯の雄馬を彷彿とさせる。エンツォはこれをドライバー、ピエロ・タルッフィの手に委ねた。タルッフィはその時点ですでに、オートバイライダーとしてヨーロッパ選手権を制覇しており、カーレースに活躍の場を移そうとしていた。ひとたび出走すると340アメリカの勢いは止まらず、エンツォが夢見ていた世界制覇を成し遂げた。このような背景を知れば、このマシンが今でも憧れの的になっている理由が分かるだろう。340アメリカは、エンツォのサクセスストーリーを象徴する初期の名車なのだ。

そしてオークションへ

 クルマにはそもそも人の感情に訴えかける魅力があるし、だからこそミヒャエル・シュテーレはこのクルマを手に入れた。彼は340アメリカの経歴を知り、ヴィニャーレのボディワークを気に入っていたが、心をつかまれたのはそのエンジン音を聞いたときだ。購入する前に、彼は妻にこのクルマを見せた。
「妻は楽しそうなクルマだと思ったようだ。そして、エンジンの起動音を聞くと、僕のほうを見てためらいもなく“ 買いましょう!”と叫んだよ」
 それから何年も経ち、思い出に残るドライブを何度も楽しんだシュテーレは、この愛車を大切にしてくれる人に譲るつもりだ。340アメリカは大手オークショナー、ボナムスに委託され、アリゾナ州スコッツデールで行われるクラシックカーのオークションにかけられる。
 次のオーナーはどんな人だろうか?歴史家、投資家、エンスージアスト、相場師? と問いかけてみると「ハンドルを握るのが大好きなドライバーだろう」と彼は答えた。
「エンジン音を聞いた途端に心を奪われるだろう。それだけさ」
(その後、このクルマは日本円にして約7億円で落札された)

1952 年のミッレミリアに出場した、シュテーレ所有の340 アメリカ。ハンドルを握るのはピエロ・タルッフィ、ナビゲーターはマリオ・ヴァンデル。クルマには同じゼッケンナンバー614がつけられている。

大きく開いたグリルと丸みを帯びたヘッドライトは340アメリカの特徴的なデザイン。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 23
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