Thursday, June 13th, 2019

FROM THE HEART
“ダルクオーレ”のスーツ

ナポリの、
そしてイタリアの宝
ルイジ・ダルクオーレが弱冠26歳にてサルトリア・ダルクオーレを
開いた時、彼はテーラー界の“ニューウェーブ”と言われることを嫌った。
あくまでも伝統的なクラフツマンシップにこだわっていたからだ。
それから半世紀が経ったが、ハウススタイルはあくまでもトラディショナルだ。
text ben st.george

 紀元前600年、ギリシアの移民たちが、現在のわれわれが“イタリア”と呼ぶ場所の南西部に到着し、ヴェスヴィオ火山の近くに定住を始めた。彼らはそこを“ネアポリス”(=新しい街)と呼んだ。名前に違わず、そこには新しく進取的な人々が集まり、自由闊達な都市として知られていた。ローマの詩人、ヴェルギリウスも魅せられたひとりで、「私が死んだら、この地に埋めてくれ」と懇願し、その願いは叶えられた。
 何世紀もの間、ネアポリスは裕福な人々のリゾートとして賑わった。海岸には豪華なヴィラが立ち並び、王族や貴族たちが羽を伸ばしにやってきた。有名なポジリポの丘の“ポジリポ”とは、ギリシア語の“何もしなくていい”という言葉が由来だという。

ナポリの伝統を受け継ぐ
 そんなリラックスした雰囲気は、現在のナポリにも残っている。柔らかな素材とソフトな着心地で知られるナポリタン・テーラーも、古代からのナポリの伝統を受け継いでいるのだ。サルトリア・ダルクオーレにおけるルイジ・ダルクオーレの仕事には、一際それが見て取れる。何世紀にもわたって受け継がれてきた“リラックス感”こそ、彼にとって最も大切なものなのだ。
「ナポリではずっとエレガンスというものが追求されてきました」とルイジは言う。
「それらの多くは失われつつありますが、ナポリ製のジャケットの中には、まだそんなエレガンスが息づいているのです」
 ルイジは16歳でテーラーの門を叩いた。比較的遅いスタートだった。当時は10歳以下で弟子入りするのが普通だったのだ。だから最初はとても苦労したという。だが、そんな苦労が彼自身の心と、サルトとしての独自の審美眼を鍛えたという。
「私は服作りのスタートが遅かった。他のテーラーは私の能力を疑ってかかっていました。だから私はひたすら、オーセンティックなスタイルと技術を磨き抜いていったのです」
 サルトリア・ダルクオーレを26歳でオープンする前に、ルイジはいくつかのナポリのテーラーで修業している。そして多くの同時代の人々と同じように、伝統に忠実であろうと努めていた。
「われわれは昔ながらの方法を守っています」と彼は言う。
「むやみに新しいやり方を取り入れたり、トレンドを追ったりするようなことはしません」
 しかし、彼の幅広い知識と経験をもってすれば、どんな服作りでも可能となる。ハウススタイルを繰り返すばかりでなく、サルトの長い歴史の中から、ベストと思えるものをチョイスして、それらを組み合わせることができるのだ。
「これはナポリの伝統を無視するということではありません」と彼は自身のスタイルについて語る。
「エレガンスを保ちつつも、よりインターナショナルな服として通用するよう工夫しているのです」
 一見すると、ダルクオーレの仕事は、古典的だ。しかし、もしルイジが、構築的なローマ風のスタイルを提案したとしても、その中身はアンコンで柔らかいナポリ風となる。彼の服は、古きよき時代のエレガンスと、リラックス感を併せ持っている。
「ジャケットはできるだけアンコンでソフトな作りとすることが大切だと思っています」と彼は言う。
「それこそがジャケットの着心地をよくする王道だからです。ジャケットを着用した時、まるで何も羽織っていないように感じさせることが理想です。そして同時に、ジャケットが体によくフィットし、美しいシルエットを描いていることも重要です」

ダルクオーレを代表する三つのショルダータイプとそのコンストラクション。左は“ローマン・ショルダー”、中は“コン・ロリーノ”、右は“スパッラ・カミーチャ”と呼ばれるもの。さまざまな構造を使い分けている。

ナポリに位置する自身の工房で、自らのテクニックと洋服について熱く語るルイジ・ダルクオーレ本人。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 23
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