BRIGHT LIGHTS, B.I.G. CITY

24歳で散った“ビギー”

December 2017

text by christian barker

 それほどの才能があったにもかかわらず、ウォレスは12歳のとき、麻薬の密売を始めた。仕事をふたつ掛け持ちし、日夜働き続ける母親を助けようとした。自身の曲『スカイズ・ザ・リミット』でも、「このゲームで動揺や挫折を経験したら/それを糧にひと回り成長し もっとうまく立ち向かい/お袋に金を持たせてやりたい」と表現している。

 17歳のウォレスは、学校を中退してコカイン売買の仕事に専念するようになっていた。89年には武器の不法所持で保護観察処分に付され、91年には薬物売買の罪で9カ月服役するなど、何度か警察沙汰にもなった。

パフ・ダディとの固い絆 だが、釈放から数カ月が過ぎた頃、ウォレスは音楽の世界で大きな幸運に恵まれた。友人と録音したミックステープが、伝説的なオールドスクール・ラッパー、ビッグ・ダディ・ケインのDJを務めたミスター・シーのもとへ辿り着いたのだ。その内容に心を動かされたミスター・シーは、ヒップホップ誌『The Source』の編集者、マティ・Cにテープを渡した。すると、マティがビギーに関する初めての記事を執筆。さらにマティは、音楽業界でめきめき頭角を現していたアップタウン・レコードの若き副社長に、この有望な新人をチェックすべきだと提案した。その副社長こそが、(今ではパフ・ダディやディディという名のほうが有名な)ショーン・コムズだった。

「マット(マティ)が彼に俺の曲を聴かせたところ、彼は気に入って俺と会いたがった。こうして俺たちは出会い、俺は彼にちょっとラップをやってみせた。そこから始まったんだ」

 コムズがアップタウンを去り、自身のレコードレーベル「バッド・ボーイ」を創設したときも、新米弟子であるビギーは率先して契約を結んだ。「俺とパフは固い絆で結ばれてるんだ」と、ウォレスは95年に語った。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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