ART OR SEDUCTION?

純愛か、淫行か? ジョン&ボー・デレクの物語

July 2023

text nick scott

二番目の妻ウルスラ・アンドレスとジョン・デレク。ジャマイカの『007/ドクター・ノオ』のセットにて(1962年)。

 1973年、ギリシャのミコノス島で映画監督をしていたデレクは、自分より30歳年下の16歳の少女、メアリー・キャサリン・コリンズの魅力にとりつかれた。彼女はモトクロスバイクのセールスマンの娘であった。南カリフォルニアの高校を中退し、ボー・シェーンという芸名で活動していた。彼はすぐに彼女を映画『Once Upon a Love』(後に『Fantasies』(1981年)として公開)にキャスティングし、自分の子供よりも若い娘と関係を持つようになった。

 人々はふたりがミコノス島を離れたら、関係は立ち消えになるものと思っていた。しかし、デレクはボーをドイツに連れて行き(おそらく、彼女の年齢ではカリフォルニア州では淫行罪に当たったため)、エヴァンスと離婚した後、1976年6月にボーと入籍した。彼女は19歳、彼は49歳であった。

 その頃から、ボーのスター性はどんどん高まっていった。1979年、ブレイク・エドワーズ監督の『テン』にジュリー・アンドリュース、ダドリー・ムーアと出演し、そのセクシーさで一大センセーションを巻き起こした。この映画のタイトルは、どこから見ても「満点」の魅力を持つ女性を意味している。皮肉にもボーが海から上がってくるシーンは、『007/ドクター・ノオ』(1962年)で初代ボンドガールとなったウルスラ・アンドレスの登場シーンに酷似している。

 しかし、メディアの「スヴェンガリ」批判は一気に強まった。その理由は、ふたりの年齢が30歳も離れていたことに加え、デレクが今後ボーは、自分が監督する映画だけに出演すると言っていたためだ。

ジョン&ボー・デレク。カンヌ映画祭にて(1987年)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 51
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