ART OR SEDUCTION?

純愛か、淫行か? ジョン&ボー・デレクの物語

July 2023

text nick scott

ジョン・デレクと彼の最初の妻パティ・ベアーズ。カリフォルニア、ラグーナ・ビーチにて(1955年)。

 ボガートのサンタナ・プロダクションはミステリー作家ドロシー・B・ヒューズの小説『孤独な場所で』の映画化権を買った。主演は小説の主人公と同じく若いデレクの予定だった。しかし、脚本家たちは主役をもっと年上の人物にすることに決め、ボガートがその役を演じることになった。

 1950年に公開された映画は高く評価され、今でもフィルム・ノワールの名作として語り継がれている。もしこの映画にデレクが主演していたら、彼の運命はまた違ったものになっていただろう。

 その後、デレクはコロンビア映画の手に委ねられ、『剣侠ロビン』(1950年)、『Mask of the Avenger』(1951年)、『Prince of Pirates』(1953年)、『熱砂の女盗賊』(1954年)などに主演し、冒険活劇俳優として名を馳せることになった。『十戒』(1956年)、『栄光への脱出』(1960年)など印象的な出演作もあったが、彼のスター性はそのルックス以上に早く衰えることになる。ジョン・デレクは若者たちの間で人気があったため、コロンビアは彼に若い役ばかりをやらせていたのだ。

 デレクは私生活の面でも若さに溢れていた。彼は合計4回結婚したが、婚姻する度に花嫁との年齢差は大きくなるばかりだった。1948年、彼は普通に4歳年下のフランス人スター、パティ・ベアーズと結婚し、2人の子供をもうけた。

 1957年、10歳年下のウルスラ・アンドレスと2回目の結婚をし、『Nightmare in the Sun』(1965年)、『Once Before I Die』(1966年)で共演した。これは、デレクが第二次世界大戦中に一時出征したフィリピンで、兵士とひとりの女性がサバイバルする姿を描いた作品である。アンドレスとの結婚は、彼女がフランスの俳優ジャン=ポール・ベルモンドと不倫を始めたことで終わりを告げた(これはデレクの自業自得であった)。

 1968年には、16歳年下のリンダ・エヴァンスと一緒になった。リンダはデレクが監督と撮影を担当した『ChildishThings』(1969年)という映画に出演したが、ほとんど話題にならなかった(彼女は後に80年代のドラマシリーズ『ダイナスティ』のクリストル・カリントン役で有名になった)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 51
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