AN AFFAIR TO FORGET

セックス、ドラッグ、死、そして“甘い生活”

July 2018

ウィルマ・モンテージの不審な死亡状況が明るみになり、サン・バルトロメオ侯爵ウーゴ・モンターニャや、イタリアの外務大臣、アッティリオ・ピッチオーニを父に持つピエロ・ピッチオーニなど、ローマ社交界の著名人らを巻き込むスキャンダルに発展した。

高い地位からの圧力の疑惑 セント・ヒューバートの会員リストは、ジャーナリストたちが筆を走らせるのに十分な代物だった。ローマ法王専任の医師や、王庁の役人たち、さらにはイタリアのアッティリオ・ピッチオーニ外務大臣を父に持つジャズミュージシャン、ピエロ・ピッチオーニといった大物の名前が並んでいたからだ。記事によると首謀者はサン・バルトロメオ侯爵ウーゴ・モンターニャ。彼は国際的な麻薬密輸組織の頭目で、アヘンにまみれた夜会へ女性を誘い込んでいると報じられた。

 これはイタリア支配階級の名士たちを罪人へと転落させる一大醜聞だったが、マリオ・シェルバ首相にはそんなスキャンダルに対処する余裕はなかった。当時のイタリア国内の政治は内容に乏しく、共産主義とネオファシズムという、正反対の風変わりなイデオロギーに国民が魅力を感じるほどだった。そんな中、首相の率いるキリスト教民主党は、信任投票で辛くも勝利を収めたおかげで、3カ月ぶりに過半数の議席を確保したばかりという重要な局面にあったのだ。特権階級が退廃的な贅沢に耽っているというイメージは、国民の革命精神を呼び覚まし、政権の転覆さえ引き起こしかねなかった。

 そこで持ち出されたのが、「公共の秩序を乱すために不正確で粗悪なニュースを広めること」を禁じる、古いファシスト党の法律だった。この法律により法廷に引きずり出されたのは、『Attualità』誌の若き記者、シルヴァーノ・ムートであった。投獄されるか、上流社会の放蕩者の名前を列挙するかという選択を迫られた彼は、持っている情報のすべてをぶちまけた。

 ムートへの主な情報提供者は、騒動の中心となった背徳的な集いに関わったアンナ・マリア・モネータ・カーリオという女性だった。彼女は著名な弁護士の娘で、はっとするような美貌と濡羽色の髪の持ち主であったことから、メディアから“ブラック・スワン”と呼ばれた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 23
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