May 2020

期待の新星、AKIRA TANI

フィレンツェ クラシックの
正統を継承するビスポークシューメーカー

text & photography yuko fujita
issue10

Akira Tani / 谷 明1984年、大阪生まれ。高校卒業後、古着屋で働きながら靴の学校に通う。そのときからの友人だったアン ビスポークの西山彰嘉氏が英国で修業した影響もあり、2012年、フィレンツェに渡る。ステファノ ベーメルに入社して5年半の経験を積み、昨年独立。そのままフィレンツェでAKIRA TANIを始動した。

「ローマのクラシックな靴は好きですが、そのデザインには数値化されたものが存在していて、そこがフィレンツェと異なります。私が学んだステファノ ベーメルの靴のパターンにはどこかフランス靴の薫りを感じるのですが、それはフランス人が働いていたことも関係していると思います。ローマほどワイドでないスクエアトウだったり、低いつま先から甲に向かって一気に立ち上がったグラマラスなフォルムだったり。一方で、底回りは厚くどっしりした雰囲気があります。さまざまな国の薫りが混じっていて、フィレンツェのスタイルはこれだって一概には言えないんですよね。フィレンツェの靴には自由があるぶん、シューメーカーごとの個性が強いんです」と谷氏。

 ステファノ ベーメル時代は底付けひと筋。それもあって、世界一の底付け職人になりたいと常々思っていたという。だから、独立して自分の名前で靴を作るなんてまったく考えていなかった。大阪のアン ビスポークの西山彰嘉氏とはお互い靴作りを始める前からの友人で、修業を終えてイタリアから日本に帰国したら、一緒に靴作りをしようと約束までしていたほどだ。そんな谷氏のマインドを大きく変えたのが、サルトリア コルコスの宮平康太郎氏だった。

「『明くん、工房を構える気はなくてもいちど僕の靴を作ってみい』って、注文してくださったんです。1足目のときは採寸するのすら初めての経験でしたが、その後も途切れることなく注文をいただいて。自分が作った靴を人に履いてもらうことがどれだけ嬉しいことか、康太郎さんが教えてくれたんです。康太郎さんは初対面のときから変わらず優しいですし、今も変わらず厳しくご指導いただいてます。あれだけの服を仕立てられる先輩がそばにいるから、私も最高のレベルの靴作りをしなければ、ととても励みになっています」

 日本にいた頃は何をするにも考えすぎるタイプだったそうだが、イタリアが自身の内面をガラリと変えてくれたと谷氏は話す。

「何とかなるかなって、何でもポジティブに考えられるようになりました。イタリアの力ですね(笑)。町の人々の優しさ、景色、建物、ひとつひとつがエネルギーをくれるんです。たくさんの美しいものに触れられ、それを自分の財産にできる環境がフィレンツェにはあります。どんなに仕事に追われていても、ゴッツィの料理が活力を与えてくれますしね(笑)。とても充実していてパワーが漲っています」

本記事は2020年3月25日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 33

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