Wednesday, October 2nd, 2019

A SPIRIT THAT LIES DEEP IN MAISON
シャルル・エドシックに秘められた
偉大なる冒険の物語

“紳士のシャンパーニュ”という異名を持つ「シャルル・エドシック」誕生の裏には、
若き創業者の強い信念と冒険の物語があった。

“もしよろしければ座って少しお話でもいかがですか?”-仏ランスで生まれたシャンパーニュメゾン「シャルル・エドシック」の創業者、シャルル-カミーユ・エドシックが今も生きていたら、こう語りかけてくることだろう。話術に長け、生粋の紳士であった彼が造ったシャンパーニュが、海を渡り、150年以上もの間、世界にその名を轟かせているのは、ひとえに天才的な起業家であり、冒険家、そして誰よりも働き者であったシャルルに先見の明があったことに他ならない。
 1822年、名門シャンパーニュメゾン、エドシック家の父と、同じく名門のアンリオ家の母の間に誕生したシャルルは、生粋のサラブレッドだった。早くに父を亡くすが、シャンパーニュ造りへの愛に溢れる父の姿を側で見て育った彼は家業を継ぐことを決意。留学から帰国後、亡き父の後を任されていた叔父の下でシャンパーニュ造りを学んでいたが、経営方針で叔父と対立するようになってしまったことをきっかけに、シャルルは29歳の若さにして独立を決意。1851年に自身の理想を反映したメゾン「シャルル・エドシック」を誕生させた。ここから彼の大いなる冒険の物語が始まることとなる。
 自分が造るシャンパーニュの品質に絶対的な自信を持っていたのはもちろん、複数の言語を操り、社交的で柔軟だった彼がはじめから世界進出を考えていたのは当然だった。シャンパーニュの主な輸出先としてロシアが主流だった当時、シャルルは手始めにベルギーとイギリスへ渡った。しかし、彼が最終的に目指していたのは欧州ではなく、アメリカだった。アメリカは多くの人々にとって伝説や謎めいた話も多い未開の地だったが、彼はその地にこそ、絶好のビジネスチャンスがあると考えていたのである。
 こうして独立の翌年に渡米を果たしたシャルルは、その才能を遺憾なく発揮する。社交界のパーティがあればどこへでも赴き、政治・経済界で有力な人々と知り合い人脈を広げていったのだ。このカリスマ性に溢れ、シルクハットを被った粋な紳士は、“シャルル”を英語読みにした“チャーリー”という愛称で人々に親しまれ、“シャンパーニュとフランスの大使”として見事なまでに人々の注目を集めた。その勢いはもはや社会現象と化し、彼のシャンパーニュもまたあっという間に世に知れ渡っていった。1860年のニューヨーク滞在中の妻への手紙を引用すれば、彼の「一挙手一投足を記者が追いかけて記事にしている」日々だったのである。

多くの王室や偉大な著名人を魅了したシャルル-カミーユ・エドシック。その功績が讃えられ、彼をモデルにした映画(『シャンパン・チャーリー』1989年ヒュー・グラント主演)や音楽、ミュージカルも制作されている。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 30
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