THE SUNLIT UPLAND

モナコ大公の手腕

August 2020

 

 こうしてレーニエは、理想とするモナコを自由に築けるようになった。建築図面を眺めることが好きだった彼は、多くの大規模開発事業を自ら監督した。そして多数の銀行や企業を誘致したり、埋め立て地に高層マンションを建設するなど、モナコを地中海のシンガポールへと変貌させた。20世紀初め、カジノはモナコの歳入の95%を占めていたが、1980年代になるとその比率は付加価値税収入によって押し下げられ、わずか3%になっていた。

 

 

オナシスのヨットから降りるレーニエとグレース。

 

 

 グリマルディ家には13世紀から呪いがかけられていたという説もあるが、レーニエとグレースは揺るぎない夫婦関係を保ち、カロリーヌ、ステファニー、アルベールという3人の子宝にも恵まれた。しかしやはり1982年9月にグレースの身に降りかかった事故は、レーニエにとって痛恨の極みだった。事故現場は、皮肉にも彼女がかつて『泥棒成金』でケーリー・グラントとドライブした丘陵地帯。クルマはガードレールを突き破って土手を落下し、彼女は意識を取り戻すことなく亡くなった。

 

 自らの地位を“孤独な仕事”と表現したレーニエは、それ以降ずっと独身を貫いた。やがて彼の“経営”は、家名のダメージを消すことが中心となった。娘たちの恋愛のもつれや、息子のアルベールが結婚に乗り気でなく自身が退位できないことが頭痛の種だった。レーニエは心臓と腎臓の病を患い、2005年に81歳でこの世を去ったが、2011年に息子が結婚し、2014年には双子が誕生。グリマルディ家の継承は安泰となった。

 

 確かにモナコは街並みが整いすぎていて生活感がないかもしれない。しかし、2019年の時点で1万2000人以上のミリオネアがモナコに暮らしている。レーニエは1997年のインタビューで、「700年を経ても一族が同じ場所に居続けているという奇跡は、我が一族と人々との間に絆が存在してきたことを示している」と語った。数十年におよぶレーニエの巧みな舵取りは、今も人々に大きな魅力をもたらし続けている。

 

 

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