THE SUNLIT UPLAND

モナコ大公の手腕

Wednesday, August 26th, 2020

モナコ公国はかつて“いかがわしい隠れ家”というイメージを持つギャンブルの中心地だった。

そこに登場したのが、大公レーニエ3世だ。

彼はロシェ(岩山)にある宮殿で、この国を一変させることを計画していた。

 

 

text stuart husband

 

 

1956年1月、婚約発表をした後の大公レーニエ3世とグレース・ケリー。グレースの父ジョン・ケリー・シニア(右)と母マーガレット(左)が祝辞を述べている。

 

 

 歴史には興味深い仮定がいくつか存在する。面白いのはモナコ大公のレーニエ3世が、グレース・ケリーではなくマリリン・モンローと結婚していたら、という空想だ。実はそれほど非現実的な話ではない。レーニエがハリウッド女優と結婚することでモナコのイメージアップになると考えたのは、同公国に熱心に投資していた海運王アリストテレス・オナシスだった。

 

 モンローは当初「ふたりきりで2日も過ごせば、彼は結婚を望まれるでしょう」と述べていたが、モナコがアフリカにあると誤解していたからか、結局モンローは難色を示した。これでケリー妃誕生への道が開かれたのだ。グレース・ケリーは、1954年に行われた『泥棒成金』の撮影でコート・ダジュールの魅力に取り憑かれていた。そのため翌年にロシェに立つ宮殿で写真撮影が行われたときには、レーニエに恋をしやすい状態にあった。

 

 1949年に大公位およびそれに付随する約140の称号を継承していたレーニエは、かつての輝きを失ったギャンブルリゾートも受け継いでいた。そこには名高いカジノと税制優遇措置に引きつけられた有閑階級が集まっていた。小説家のサマセット・モームが、モナコを「陽当たりはよいが、後ろ暗い人で溢れる場所」と切り捨てたのはその10年ほど前のことだ。

 

 

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