THE MESSIAH OF DYSTOPIA
アンドリュー・リンカーン インタビュー
“演技”という名の探検
August 2021
text wei koh
photography ruven afanador
fashion and art direction sarah ann murray
photography ruven afanador
fashion and art direction sarah ann murray
「母と父が、僕を好奇心旺盛な人間に育てたんだ。母は南アフリカ人で、父はイギリス人。典型的なイギリス家庭での育ち方とは違っていたよ。いつも政治や芸術について議論していた。両親はもともと、僕に演技の世界には進んでほしくなかったんだ。そこで父は『5つの演劇学校に入ること』を条件にしてきた。僕は5つの演劇学校に入るために頑張りすぎて、学校をおろそかにしてしまったけどね。父は僕の決心を試していたらしい」
両親からどんな価値観を与えられたか尋ねると、すぐにこう返してきた。
「それはふたつある。他人への思いやりと強い労働倫理。両親はいつも支えになってくれた。僕の野望が変だと思ってもね。いつだって野心的でいられるように働きかけてくれた。だから僕も、あえてバカなふりをしたり、わざわざ面倒なことをする人が好き。あらゆるリスクを覚悟したら、思いがけない奇跡が起きるかもしれない」
リンカーンの人生で最も重要な女性であり、彼のパートナーで、ふたりの子供の母親でもあるのが、ゲイル・アンダーソンである。彼女もまた、型にはまらない家庭で育った。というのも彼女の父親は有名なロックバンド、ジェスロ・タルのリーダーでフルート奏者のイアン・アンダーソンだったからだ。
「出会いは、僕が監督したあるドラマ。ゲイルはプロダクションアシスタントを務めていたんだ。彼女のお父さんもだいぶ型破りな人。でもそのおかげで彼女は僕に対して共感を覚えてくれたんだ」
義父との忘れられない思い出について尋ねると、リンカーンはこう打ち明けた。
THE RAKE JAPAN EDITION issue11掲載記事