HOTEL THE MITSUI KYOTO

「三井」の名を冠した、フラッグシップホテル訪問記

March 2022

text kentaro matsuo

 

 

 

 

 京都駅でタクシーに乗り、東本願寺と西本願寺の間の大通り、堀川通へ出て、しばらく北上すると、左手に京都が誇る世界遺産、二条城が見えてくる。ここは1603年、徳川家康の征夷大将軍就任の拝賀の式が行われ、1867年、徳川慶喜による大政奉還の舞台となった場所で、まさに幕府時代を象徴する城郭である。

 

 その真向かいに、直線を基調とした、新しいビルディングが建っている。モダンだが、低層で威圧感はない。京都の落ち着いた町並みに、うまく溶け込むようなデザインだ。和風の瓦塀で囲まれており、端に小さな門が見えるが、それは固く閉ざされている。

 

 この場所はかつて、巨大財閥、三井の総領家があったところだという。もともと関西を出自とする三井家は、江戸の越後屋呉服店での大成功をきっかけに繁栄・多角化し、1710年、この地に全事業の統括機関である「大元方(おおもとかた)」を構えた。1945年、太平洋戦争が終結し、GHQによる財閥解体が通達されるまで、この地は名実ともに、三井の中心であったのだ。

 

 その後、一時は人手に渡っていた同地にて、超一級のラグジュアリーホテルを作るというプロジェクトが、三井不動産によって創案された。三井の名を冠しているだけに、グループとしても力が入ろうというもの。「美しさと豊かさに包まれた、世界に誇れるホテルブランドを創り上げる」をスローガンに、2020年、グランドオープンに漕ぎ着けた。これが今回の目的地、HOTEL THE MITSUI KYOTOである。全161室のミドルサイズホテルだが、そのレベルはトップ・オブ・トップだ。

 

 

 

 

 エントランスは、大通りとは反対側の、油小路通に面している。これはかつての三井家の間取りがそうであったからという理由による。敷地をまたぐと、まず目に飛び込んで来るのは、灰色の瓦屋根を乗せた荘厳な「梶井宮門」だ。300年以上も前に作られた歴史的建造物で、三井邸を訪れる客を迎えていたのも、この門だった。ホテルのオープンに合わせて、1000個以上のピースに分割され、80年ぶりに完全修復されたという。その存在感は、圧倒的だ。

 

 

 

 

 ロビーラウンジは、シックかつ壮麗な空間だ。手前に飾られゲストたちを迎えるのは、陶芸家、泉田之也氏によるオブジェである。固い焼き物であるにもかかわらず、軽やかな風の動きを感じさせる。行き交う旅人たちをイメージしたものだという。

 

 

 

 

 奥の天井には香港のインテリアデザイナー、アンドレ・フー氏によるアートが吊り下げられている。何本ものバーを並行してアーチ状に渡し、その表面に手書き模様が施されている。この模様は中庭の水盤のきらめきを写したもので、ラウンジと中庭をシームレスに繋いでいる。

 

 

 

 

 中庭はロの字型の建物に囲まれ、大きな窓を通して四方から眺めることができる。昼間は燦々とした陽光が降り注ぎ、ホテル内に明るさをもたらしている。庭は大きな水盤と飛び石、さまざまな木々から成っており、シンボルツリーは大きな枝垂桜で、モミジも多く植えられている。四季折々の風景を楽しめるよう、工夫されているのだ。

 

 ランドスケープデザインを担った宮城俊作氏は、それぞれの場所に「ほんの少しの作為」を加えることがデザインの本質だという。手水鉢(ちょうずばち)は沓脱石(くつぬぎいし)など多くの景石は三井家から継承したものが用いられている(余談だが、ここは「石マニア」にとってはたまらないスポットだそうだ)。そして夜になると、すべてが華麗にライトアップされる。

 

 

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