UNFORGETTABLE?
ナット・キング・コールの伝説
November 2021
写真家ウィリアム・ゴッドリーブによるパフォーマンス中の一コマ(1947年)。
コールは、これまでにないほど人種の壁を取り払ったが、多くの人にとっては、それだけでは不十分だった。全米有色人種地位向上協会のメンバーは、彼を「アンクル・トム」と呼び、戦いから目を背けていると非難した。「新聞にも書かれているように、その責任を他の人に押しつけている」と。
コールは、1955年から56年にかけての“モンゴメリー・バス・ボイコット”などのキャンペーンを静かに支援していたが、60年代になると単一人種の会場をボイコットしたり、63年のワシントン大行進の計画に協力するなど、公然と運動に参加し始めた。その頃までには、ケネディ大統領やその後継者であるリンドン・B・ジョンソンの公民権に関する相談相手にもなった。
しかし、これが彼の最終章となるのである。1965年2月、45歳の若さで肺がんに倒れたのだ。変化と未来を重んじる音楽界においても、彼の死は一時代の終わりとして認められたが、彼はすでに過去の人でもあった。それ以来、ロックンロール以前のほとんどの人々と同じように、彼は歴史の一部となっていった。1991年には、実の娘であるナタリー・コールが、亡き父とバーチャル・デュエットした『アンフォーゲッタブル』がヒットした。ストリーミング革命によって音楽の壁が永久に取り払われた世界では、ナット・キング・コールの音楽は、単なる季節ものや広告で使われるだけになってしまうのかもしれない。
しかし、ナット・キング・コールのような偉大なアーティストを、クリスマスにしか聴かないというのは、あまりにもったいないことである。
ケネディ大統領とビバリーヒルズのヒルトンホテルにて。