THE ART OF HAPPINESS

画家バルテュスと節子夫人の幸せな関係

January 2017

Issue13_P163_01

バルテュスの自画像、『猫たちの王』(1935年)。

Balthus’s works showed apreoccupation — an unhealthily sexual one, some would assert — with young females.
バルテュスの作品が示す少女に対する執着は、
一部の人間が不健全なほど性的だと主張しかねないものだった

『ギターのレッスン』は、バルテュスが多数制作した少女に対する執着を示す作品のひとつに過ぎない。その表現は、一部の人間が不健全なほど性的だと主張しかねないものだった。例えば『街路』は、一見すると当たり障りのない街の光景を描いているが、画面左端の少女は男に身体を弄られているし、ルイス・キャロルの同名小説を描いた『鏡の中のアリス』は少女をより扇情的に描いている。また、『少女と猫』はしばらくの間、ある文学作品の表紙を飾った。その文学作品こそ、バルテュスの絵画と同じく少女の扱いに懸念を呼んだウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』である。

 バルテュスの少女への執着に対し、世間は疑いの眼差しを向け始めていた。1962年の東京でバルテュスが34歳年下の女性と出会い、恋が発展すると、彼の作品に注目していた人々が異口同音に不賛成を唱え始めた。

日本人女性へのひと目惚れ 東京で生まれた出田節子の家は、京都の歴史ある武士の家系だった。ふたりが出会ったのは、アンドレ・マルローがバルテュスを日本へ派遣したときだった。当時フランスで初代文化相を務めていたマルローは、パリの展覧会のために日本の伝統的な芸術作品を選ぶ仕事をバルテュスに任せたのだ。バルテュスには最初の妻であるアントワネット・ド・ワットヴィルとの間にふたりの息子がいたが、当時の節子夫人は長男スタニスラスと同い年で、上智大学の学生だった。

 フランスから派遣されてきた一団が京都の寺院を巡る間、通訳を務めていた彼女は、たちまち54歳の男の目に留まった。ほんのわずかでも年齢差を小さく見せようと、バルテュスは4歳さばを読んだという。芸術家の伝記を数多く執筆しているニコラス・フォックス・ウェーバーは自著において、こう描写している。「彼女はバルテュスが大切に思うものをいくつも体現していた。女性的な美しさ、若々しい活力、鋭い知性、東洋的な魅力と謙虚さ……」。節子夫人の記憶にあるふたりの出会いも、バルテュスが新たな恋を真っ白なキャンバスのようにとらえていたことを示唆している。

「とにかくたくさん会話をしました。バルテュスは私よりもずっと日本に精通していた。彼には東洋文化への憧れがあったのです。日本のあらゆるものを敬愛していました。私に毎日着物を着させたのも彼です。それが彼の芸術観でしたから。日本女性は着物を着るようにできている、と言っていました」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 13
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