THE IDLE WILD

輝ける命の刹那 Part 1
ジェントルマン・レーサーの系譜

March 2021

text nick scott

アルファ ロメオ158を駆るトロッシ伯爵。

 クルマが芸術品のようにカスタムメイドされていた時代に生きていた彼は、1930年製のスーパーチャージャー付き7.1リッターのメルセデス・ベンツSSK“トロッシ伯爵”(後に“ブラック・プリンス”として知られ、現在ではラルフ・ローレンが所有している)をすでに提供されていたが、城の地下牢でさらなるコンセプトカーをデザインし、製作した。

 空冷16気筒2サイクルエンジンを魚雷のようなボディに収めた“モナコ・トロッシ”だ。実に過激なマシンで、モンツァでは最高速度155mp(249km/h)を超えたとされるが、オーバーヒートを起こしやすいため、レースには一度も出ることがなかったという。

 1936年にマセラティ・チームに参加したトロッシは、直径46mmのゴールド製パテック フィリップ(2008年にオークションで225万ドルで落札)を手首に装着し、ドイツ・グランプリやアメリカのヴァンダービルト・カップに参戦した。

 第二次世界大戦中にイタリア空軍の戦闘機パイロットとして参戦した後、アルファ ロメオでの活躍が、彼のレース場での最大の功績となった。1947年のミラノのポルテッロ地区で行われたイタリア・グランプリで優勝、その翌年にはスイスのブレムガルテンで2度目のグランプリ優勝を果たしている。

 しかしその頃、トロッシは脳腫瘍と診断され、1948年のモンツァ・グランプリ(同大会で2位入賞)を最後に41歳の誕生日を迎えて間もなく死亡した。

新大陸の代表選手 クルマの性能とレースの美学に夢中になったのは、ヨーロッパの富裕層に限ったことではなかった。新大陸代表は、若き日のブリッグス・スウィフト・カニンガム(1907-2003年)だ。シンシナティ生まれのカニンガムは食肉加工と金融で財を成したファミリーの相続人だった。

 彼の叔父は、ダッジのツーリングカーのエンジンをイスパノ・スイザ機のエンジンに交換してストリートレースに参加するスピード狂で、彼は子供時代をいつもこの叔父と過ごし、大きな影響を受けた。

 数十年後、カニンガムがタイム誌の表紙に登場する頃には、彼は自分のスポーツカーチームをつくり、戦後のアメリカのレース文化をヨーロッパのシーンに持ち込んだ。またフロリダで、イタリアン・ボディにクライスラー・ヘミ・エンジンを積んだグランドツアラーやスポーツカーの生産者としての地位を確立していた。

ブリッグス・スウィフト・カニンガムの写真の数々。シンシナティ生まれの彼は、食肉加工および金融業を営む会社の相続人として生まれ、新大陸代表としてヨーロッパ勢に対抗した。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 38
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