March 2021

THE IDLE WILD

輝ける命の刹那 Part 1
ジェントルマン・レーサーの系譜

text nick scott

ブルックランズにおける英国自動車レースクラブ(BARC)のミーティング(1930年)。

 イギリス陸軍航空隊に入隊したバーキンは、若き中尉としてパレスチナに従軍したが、そこでマラリアに感染し、終生完全に回復することはなかった。

 バーキンは大人になっても“ティム”というニックネームで呼ばれていた。子供向け漫画のキャラクターであるタイガー・ティムと同じように、ダイナミックで冒険心溢れる青年だったからだ。しかしイギリスに戻ってきたときには、控えめで慎ましやかな男になっていた。相変わらず、女にはモテモテだったが……。

 弟であり、ベントレー・ボーイズのメンバーだったアーチーが、1927年のマン島TTレースの早朝練習中に死亡した故かどうかはわからないが、彼は死の恐怖に慣れていたのかもしれない。

 バーキンはシャイだったが、レース場においては存分に自分を主張した。ウィンドキャップ、ゴーグル、ポルカドットのスカーフを身にまとい、自ら購入した1927年製の4.5リッター車のスーパーチャージャー付きベントレー・ブロワーを操った。

 かつてタイムズ紙は彼について、“用心深さ、慎重さなどはすべて、高速での華麗なドライビングを愛するために犠牲にされた”と書いた。

 1995年にBBCは、50分間のティム・バーキンの伝記ドラマを製作した。主演はローワン・アトキンソン、脚本を担当したのはティムの甥の孫であるジョン・バーキン卿であった。ジョンはこう回想している。

「セーリング、射撃、クルマが彼の生活のすべてであり、財産のすべてをそのために費やしていた。彼は全レースで優勝するような人ではなかった。ラップタイムと記録を維持することに執心していた。1928年のル・マンでは、平均時速85マイルのラップを記録したが、そのときタイヤのひとつはパンクしており、3輪で走っていたのだ」と語っている。

 あるときにはその運転の腕前を大いに発揮して、サヴォイ・ホテルの階段をベントレーに登らせ、クルマをディナーの主役としたこともあった(実際には分解して搬入した)。

かつてブルックランズにて行われたダブル・トゥエルブ・アワー・レースにて、ウルフ・バーナートに話しかけるバーキン卿。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 38
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