THE IDLE WILD
輝ける命の刹那 Part 1
ジェントルマン・レーサーの系譜
March 2021
ブルックランズにてラップを重ねるバーキン卿。
また、伊フェラーリの初期の上顧客であるジャンニーノ・マルゾット伯爵(1928-2012年)は、フェラーリが製造した4台目のカスタマーカー(2リッターグランドツーリングクーペ)のオーナーで、ウォーカーに勝るとも劣らぬファッショニスタだった。1950年のミッレミリアで優勝した際に着ていたのは、ブラウンのダブルブレステッド・スーツだった。
後に彼は「レースはレクリエーションのようなものだよ。イタリアの道路を、パワフルなクルマでロングドライブして、ただ楽しむだけだった」と颯爽と語った。
伝説の宝庫、ベントレー・ボーイズ カーレースはソロ・スポーツであるにもかかわらず、仲間意識を培い、“徒党”を組んだ奴らもいた。その最たる例が“ベントレー・ボーイズ”だ。1920年代に、レーシング大国としての英国の評判を高めた、超富裕層の子息たちだ。
ベントレー・ボーイズを率いたウルフ・バーナートは、南アフリカのダイヤモンド鉱山を相続した大金持ちだった。
彼がベントレー社そのものを買収した数年後、カンヌ近郊でヨット・パーティをしていたときに、豪華列車ブルートレインがフランス、カレーに到着する前に、英国ロンドンまでクルマで行くことができるかどうかという賭けをしたことは伝説となっている。6.5リッターのベントレー・スピードシックスを駆り、彼は見事この賭けに勝った。賞金は100ポンドだったが、仏当局からの罰金額は、それを遥かに超えていたという。
しかし、ベントレー・ボーイズのなかで、最も“レイキッシュ”だったのは、ヘンリー・ラルフ・スタンレー“ティム”バーキン三等男爵(1896-1933年)だ。 実際、レーサーとしても、最も優れていたとされる
1920年代のヨーロッパのレースシーンにおけるバーキンの存在は、第一次世界大戦後の、より自由になった時代の象徴でもあった。彼は自由と快楽主義のシンボルだった。
アーネスト・ヘミングウェイが『日はまた昇る』の題辞で触れた“ロスト・ジェネレーション(失われた世代)”を代表する男でもあった。
1930年のバーキン卿。
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