THE ARTIST'S LIFE AND THE MEANING OF DEATH
芸術家ピエル・パオロ・パゾリーニの人生と死の意味
September 2024
サングラスをかけ、レザージャケットを羽織るパゾリーニ(1970年頃)。
彼が誰に殺されたかは、今もって謎である その頃、彼はイタリアのテレビ番組によく出演していた。視聴者は彼のルックスに惹きつけられた。鋭い目つき、彫りの深い頰骨、漆黒の髪、チェックのシャツにネッカチーフが合わせられていた。まるでフィルムノワールのアンチヒーローのようだった。
パゾリーニは政治評論や文学論を大量に発表した。彼の思想は、中世を舞台とした三つの映画で最もはっきりと表現されている。『デカメロン』(1971年)、『カンタベリー物語』(1972年)、『アラビアンナイト』(1974年)である。
この「人生三部作」は、登場人物たちがそれぞれの時代の抑圧的な制度に抗い、自由を求めて戦う姿を描いている。また、下品なユーモアやベニー・ヒル流のドタバタ劇もふんだんに盛り込まれている。映画は賛否両論を巻き起こした。
パゾリーニは死の数日前に行われた『エスプレッソ』誌のインタビューで「消費主義はファシズムよりも悪いものだと考えている」と語っている。
この信念に基づき、パゾリーニは、「死の三部作」という新しいシリーズに着手した。その第一弾が『ソドムの市』だったのだ。第二弾、第三弾でどのような作品を作ろうとしていたかは想像に難くない。しかし、パゾリーニ自身の死によって、その計画は頓挫してしまった。
ジュゼッペ・ペロシは、パゾリーニを殴り殺し、盗んだアルファロメオで彼を轢き殺した罪で有罪判決を受けた。彼はパゾリーニが自分を犯そうとしたので殺したと供述した。しかし後に自白を撤回し、ネオ・ファシスト集団による犯行をほのめかした。
この疑惑は、イタリアの「鉛の時代」(1960年代後半~80年代。相次ぐテロリズムによって社会が荒廃した時期)においては、あまりにもっともらしく思われた。実際に1980年には、ネオ・ファシストによってボローニャ駅が爆破され、82人が死亡しているのだ。
真実がどうであれ、もしパゾリーニが生きていたら、現代イタリアの迷走を罵り、ひと悶着起こしていたに違いない。インターネットによってもたらされた薄っぺらい情報社会に、彼はノーをつきつけただろう。
彼は生前すでに、テレビの悪質な力を予見していた。シルヴィオ・ベルルスコーニのような権力者たちが、大衆を操作するのに都合がいいメディアだと看破していたのだ。彼は大量消費主義に対して、断固として反対し続けただろう。「曖昧で、解読不可能で、宙ぶらりんの私たちの人生が意味を持つようになるのは、死の間際だけなのだ」と、1967年のインタビューで彼は辛辣に語っている。