TALKING 'BOUT A REVOLUTION

輝ける命の刹那 Part 2
激しく駆け抜けた女性たち

March 2021

text david smiedt

1966年、トロフィーを受け取る、女性ドライビングチーム(中央3名)。左から順に、ガスリー、リアーヌ・エンゲマン、ドナ・メイ・ミムス。

 しかし、エンゲマンが男性であれば考えずに済む課題に直面したことは間違いない。そのひとつは、予期せぬ妊娠であった。彼女は1973年にヘルメットをそっと脱ぐと、マルベーリャで人目につかない暮らしを送ることになった。

 エンゲマンとガスリーが女性解放運動と同時期に台頭したことは不思議ではない。「フレッド・アステアは素晴らしかったけれど、ジンジャー・ロジャースが彼と同じことをハイヒールを履いて後ろ向きでやってのけたことを忘れないで」という有名な言葉を、彼女たちはモータースポーツの世界で体現したのである。

ドラッグレーサーのレジェンド 同じく称賛を送るべきは、“チャ・チャ”という名で親しまれたドラッグレーサー、シャーリー・マルダウニーだ。短い直線コースにおいて最速のスピードを出すことがすべてであるドラッグレースほど、男性的なスポーツはない。

『チャーリーズ・エンジェル』を観たことがある方ならば、身体にフィットするジャンプスーツを纏ったスターがヘルメットを脱いで髪をかき上げるお決まりのシーンを、制作者たちが嬉々として入れていることをご存じだろう。マルダウニーは本物だった。彼女は米国のナショナル・ホット・ロッド・アソシエーションからライセンスを与えられた初の女性であっただけでなく、1977、1980、1982年にトップフューエル・チャンピオンシップで優勝を果たした。それまで、3度はもちろん、2度でさえ優勝した者は皆無だった。実力の伴う彼女の走りは、実に格好よかった。

 15歳のときにニューヨーク州スケネクタディのストリートでレースを始めた彼女は、歯に衣着せぬ人柄で知られており、そこが彼女の豪快な魅力を際立たせている。何といっても彼女は、最初の夫がニトロメタンを使うレースに乗り気でなかったことを理由に別れを選んだほどの人物なのだ。やはりというべきか、1983年には彼女の伝 記 映 画『Heart Like a Wheel(原題)』が制作されたのだが、彼女はその際もジェイミー・リー・カーティスに自分を演じてほしかったと公然と述べた。実際に彼女を演じたのは、『ダイ・ハード』への出演で知られるボニー・ベデリア。マルダウニーは控えめにいってもがっかりした様子で、ベデリアを「生意気」と評し、「まるで食卓から立ち上がるようにレースカーから出てきた」という辛辣な感想を述べた。

ボブ・モリスとガスリー。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 38
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