STREET SMART

英国のサブカルチャーA to Z

September 2016

text charlie thomas
issue10_P83_1

ダンスフロアでスーツを誇示するリバイバル・モッズ、1980年頃。

「60年代後半には、モッズ・ムーヴメントはふたつの対立する方向に分裂しつつあった。ミドルクラスで、アーティスト志向の人間は、サイケデリックでトリップ好きのヒッピーになっていった。一方で貧しい団地出身の、より若い世代の人々は、頭を剃って、いかついワードローブに身を包んだ」

 これが史上最高に人目を引く若者のカルト=“スキンヘッズ”である。スキンヘッズにはユニフォームともいうべきスタイルがあった。まず頭は剃られていなければならない。これはミドルクラス寄りなヒッピーの長髪への反発だったが、単に強そうに見えるからというのも理由だった。スキンヘッズのワードローブは念入りに決められていた。

「ジャケットはモッズが着るのより少し長め。ぴったりでウエストが絞られ、細い中間部から微妙にフレアになって、18センチのシングルベントが入っている。パンツはシングルプリーツで、丈はサヴィル・ロウが推奨する長さより、1インチ以上短くカットされ、それで赤か白のソックスが見えることになる。色は地元のサッカーチーム次第。彼らのシャツは全部ぱりっとしたコットンポプリンで、ボタンダウンの襟がついたアイビーリーグ・スタイルだ。そして彼らの靴は穴飾り模様がついたアッパーと、厚いソールが特徴の、クラシックなレースアップ・ブーツだ。モンキーブーツや、どっしりしたドクターマーチンなどが、スキンヘッズ・ブーツの典型だ。そしてブレイシーズだ。ブレイシーズはスキンヘッズにとってマストアイテムのひとつであり、彼らのアイコンだった」とエルムスは記した。

ジャマイカのルードボーイとは? 彼らの着ているものが、西インド諸島やカリブ文化の影響を受けていることを思うと、スキンヘッズは“レイシズム=人種差別主義”の同義語だというのはおかしな意見だ。頭を飾るポークパイ・ハットは、ジャマイカの“ルードボーイ”に触発されたものだし、彼らのステレオから叩き出されるスタッカートのリズムだって同じだ。スカはスキンヘッズ・ムーヴメントのサウンドトラックだった。

 実のところ、あらゆるサブカルチャーに最も大きな影響を与えたのは、ルードボーイたちだろう。この名前の起源は60年代のジャマイカにある。そこで若者たちはトラブルを起こし、地元民たちに悪意をぶつける一方で、ファッションにも異常な情熱を注いだのだ。

 60年代には何千ものジャマイカ人家族たちがイギリスに移住して、スカとレゲエのレコードと、独特の服装のスタイルを持ち込んだ。しかしスカが大々的に広まり、ルードボーイというものが前面に出てくるのは、70年代後半、レコード・レーベルの2トーン、およびザ・スペシャルズのようなバンドが登場してからだ。ルードボーイは、彼らに先んじたテディボーイやモッズに似て、自分たちの身分を高めるような装いをした。ザ・スペシャルズの元フロントマンで、有名なルードボーイだったネヴィル・ステープルは、こう言う。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 10
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