RING OF TRUTH

−モハメド・アリ−
信じるもののために戦った男

January 2021

text nick scott

マルコムXとアリ。かつてのカシアス・クレイ、後のモハメド・アリは、1964年、マイアミにてソニー・リストンに勝利した。

真っぷたつに割れた評判 モハメド・アリはケンタッキー州ルイビルで生まれ育った。母は家事労働者、父は教会の壁画家だった。父は自分が芸術家として認められなかったことを、差別のせいにしていた。12歳でアマチュアボクサーとしてトレーニングを開始した。“ランブル・イン・ザ・ジャングル”の時には、アリの評判は真っぷたつに割れていた。スポーツマンとしては賞賛されていたが、徴兵を拒否したことで誹謗中傷され、保守的な団体から、さまざまな嫌がらせを受けた。そのため彼は黒人イスラム組織、ネーション・オブ・イスラムに参加し、“奴隷の名前=カシアス・クレイ”から改名、モハメド・アリとなった。

 徴兵忌避と改宗はつながっていた。ネーション・オブ・イスラムを率いていたイライジャ・ムハンマドは、第二次世界大戦中に徴兵に抵抗したことで自ら刑務所に入ったことがあった。彼は、アリが“白人の戦争”で兵役に就いてはならないと規定した。アリは自らの思いを力強く訴えた。

「俺は徴兵から逃げているわけじゃない。愛国心を失ったわけでもない。カナダには逃げない。俺はこの国に留まる。俺を刑務所に入れたいのか? いいだろう、そうしてくれ。どうせ俺たちは、400年もの間、刑務所にいたんだ。あと4、5年増えたって、どうということはない。しかし、貧しい人々を殺すために、1万マイルも離れた場所へ行くことは絶対にしない」

 彼はさらに続けた。

「死にたければ、今ここで死ぬ、お前たちと戦って死ぬ。俺の敵は、中国人でもベトコンでも日本人でもない。俺の敵はお前たちだ。自由が欲しい俺の敵だ。正義が欲しい俺の敵だ。平等が欲しい俺の敵だ。俺にどこかに行って、戦ってほしいのか? お前たちはここアメリカで、俺の人権や信仰のために立ち上がることさえしてくれない。ここは俺の“ホーム”だというのに」

1964年、ソニー・リストンとのヘビー級世界タイトルマッチの前に、ザ・ビートルズと一緒に。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 37
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