Monday, September 2nd, 2019

伝説のダイバーズウォッチ
MILITARY HERO: THE TORNEK-RAYVILLE TR-900

契約の成立

 アメリカ海軍のUDTは再編、拡大され、SEALs(Sea, Air and Land、シールズ)に名称を改めた。そして、アメリカ海兵隊のフォース・リーコン(武装偵察部隊)も大幅に拡大された。両部隊は作戦を共同展開することが多く、SEALsが海岸と潮汐を偵察する一方、フォース・リーコンの兵士は内陸へ移動して、敵陣の探索や後に続く部隊の進軍、退却ルートを調べた。
 特殊部隊の拡大に伴い、新たな装備品も登場した。当時最新鋭だったM16自動小銃は最初にSEALsに支給され、フォース・リーコンにはHALO(High Altitude Low Opening、ヘイロウ=高高度降下低高度開傘)パラシュート降下が採り入れられた。新しいダイバーズウォッチもそういった新装備の内のひとつである。これはSEALsおよびフォース・リーコンにも適した現代式のダイバーズウォッチで、自動巻きムーブメントや潜水時間を計る回転ベゼルを搭載し、かなりの深度でも耐えることができた。
 海軍の入札仕様書「MIL-W-2217.6A(SHIPS)」は、最大深度400フィート(約122メートル)でも動作可能であり、精度が日差30秒以内で、磁気帯びしない時計を求めていた。バイ・アメリカン法のもと、この仕様書はアメリカの大手時計メーカーであるエルジンとハミルトン、ウォルサムに伝達された。しかし、要求が高すぎるだけでなく、最初の発注数量はわずか1000本だったため、どのメーカーも採算が合わなかった。
 前掲の3社以外ではブローバがいくつか試作品を作りテストを受けたが、結果は悲惨なものだった。そこに商機を見いだしたのがアレン・トルネク氏である。彼は、スイスのヴィルレ村にあったレイヴィル(「ヴィルレ」のアナグラム)の時計をアメリカに輸入していた人物である。レイヴィルはブランパンのブランド名で時計を製造する一方で、自前の製造設備を持っていないデパートや宝飾店のためにも時計を作っていた。トルネク氏とレイヴィルがこのプロジェクトに興味を持ったのには、いくつか理由がある。まず、1000本という発注数は彼らにとっては大量だったこと。次に、既にレイヴィルはブランパンとして「フィフティ ファゾムス」というダイバーズウォッチを生産しており、他社より有利だったことだ。
 ところが大きな課題となったのは、時計を非磁性(ムーブメントが磁気帯びしないように保護される「抗磁性」とは異なり、一切の部品が磁力の影響を受けない仕様)にせよ、という要求である。このため、ケースに使用する特殊鋼をスウェーデンからわざわざ輸入し、通常とはまったく異なるケース作りを行うことになったが、それに伴いさらにスチールの耐性についての問題も生じた。

放射性物質による自発光

 最初の入札公告から2年近くかかって問題をクリアし、ついにトルネクから第1号の時計が納入された。その時計はまずSEALsとUDTの隊員に、次いで他の海軍の部隊や海兵隊のダイバーに支給された。しかしブランパンの名はどこにも刻まれておらず、ケースの表面は無反射コーディングが施されており、フィフティファゾムスとはかなり異なった外観だった。文字盤の夜光塗料はラジウムでもトリチウムでもなく、プロメチウム147だった。
 プロメチウム147が採用されたのは、水中でも夜間でも夜光インデックスがより明るく、より長時間光るからだ。しかし、これには欠点があった。トリチウムは半減期が約12年、ラジウム226は千数百年単位だが、プロメチウム147の半減期はわずか2.6年。市販用の腕時計ではこれほど短い半減期のものは受け入れられないが、海軍には、それだけ明るい光が求められていたのである。
 時計の内部を非磁性にすることに比べると、特殊鋼の調達は些細な問題だった。そのためには、鉄でなく強化真鍮で脱進機を作る必要があった。ヒゲゼンマイも鉄で作ることはできなかったが、鉄の代わりにどんな素材が使われていたのかは、いまだに解明できていない。
 最初の発注数量は780本(1本の単価は187.50ドル)で、最後に納入されたのは1965年6月だった。それから数ヵ月後、別の腕時計が300本弱納入されたが、それらは海軍用だった。トルネク氏は2年後、海軍に接触してさらに腕時計が必要かどうか尋ねた。しかし、折しもベトナム戦争が激化しており、軍の上層部は他のことで頭がいっぱいだったため、「たぶんもう必要ない」と答えた。かくしてこの特別生産ラインは廃止された。
 ただし、ここで思い出してほしい。プロメチウム147の半減期は2.6年しかないのである。すなわち、最初の時計が製造されて5年も過ぎると、もともとの発光量の25%ほどしか光を放出しなくなるのだ。したがって、海軍が交換用の文字盤を求める頃には既に在庫はなく、新たに仕入れる機会もなくなっていた。文字盤が暗くなって使い物にならなくなると、腕時計は海軍の倉庫行きとなり、二度と陽の目を見ることはなかった。それらのケースの背面には、大きな放射能マークとともに、「危険!放射性物質」という文言が刻印されていた。

ベトナムでのジャック曹長。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 17
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