Jet-set Gigolos

世界を股にかけた、ジゴロ伝説

August 2015

by james medd

娘アシーナの出生証明書にサインするティエリー・ルーセル。最初の妻であるクリスティーナ・オナシスとの間に生まれた子供だ。

 しかし、誰もが彼を愛していたわけではない。イーヴリン・ウォーは小説『大転落』の中で、ハッチソンのことをこき下ろしている。彼への恨みが尽きない夫や父親もたくさんいるだろう。

 1930年に、とある社交界の令嬢を妊娠させたことでスキャンダルに巻き込まれそうになり、その2年後には、マウントバッテン卿とその夫人が、ピープル誌が夫人の「有色人種の男性との関係」を記事にしたとして訴訟を起こした。

 夫妻は勝訴したが、ハッチソンは干されることとなる。相変わらず、コンサートホールと女性の寝室の両方でパフォーマンスを続けていたが、報酬はどんどん下がっていった。1969年に69歳で亡くなったとき、ハッチソンは一文無しだったという。

80歳の花嫁を迎えた男 チリ人のレイムンド・ド・ラレインは、1950年代後半に、ジョルジュ・ド・クエバスの「おいっ子」としてパリに現れた男である。

 ジョルジュおじさんは、モンテカルロ・ロシア・バレエ団を経営していたが、これは、妻のマーガレットの援助を受けて買収したものだった。彼女はジョン・D・ロックフェラー・シニアの孫で、世界一の大富豪の1人である。レイムンドは衣装やセットのデザインを担当し、おじさんの死後にはバレエ団の経営を引き継いだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 04
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