Thursday, August 27th, 2015

Jet-set Gigolos
世界を股にかけた、ジゴロ伝説

いとも簡単そうに、女性を相手に荒稼ぎしながら大都市を飛び回るリチャード・ギアの姿。
単なるフィクションだろうって? いや、そうともかぎらない。THE RAKEでは、世界を股にかけて
巨額の富を築いた、うらやましいほど華やかな男たちを特集する。

by james medd

“The only things that
interested me were sports,
girls, adventures, celebrities.”
– Porfirio Rubirosa

“私が興味を持っているのは、スポーツ、女性、冒険、セレブだけ ”
――ポルフィリオ・ルビロサ

男女どちらもお手の物 同じく華やかな生活で知られるのが、レスリー・ハッチソンだ。“ハッチ”は西インド諸島のグレナダの漁村に生まれ、幼い頃からピアノの才能の一端をのぞかせていた。
 アメリカで医学の道に進むも中退し、ハーレムのジャズの世界に足を踏み入れる。そのハンサムなルックスで、ヴァンダービルト家を筆頭とする、裕福な観客たちの間で人気を集めた。
 ここでジゴロという、彼のもう一つの才能が花開く。しかも、男女どちらが相手でも、喜んでこの才能を発揮することができた。
 彼が射止めたのは、女優のタルーラ・バンクヘッドや、同じく女優のマール・オベロンなど。
 また男性部門には、作曲家コール・ポーター(ハッチソンをモデルにした「I’m a Gigolo」を作曲)や、ウェールズ出身のエンターテイナー、アイヴァー・ノヴェロが名を連ねる。
 ロンドンに移ったハッチソンは、すぐに時代の人気エンターテイナーの仲間入りをする。それでもなお、時間を作っては、ルイス・マウントバッテン卿夫人のエドウィナとの情事にふけった。
 夫人は、宝石で飾られたシガレットケースや、ダイヤモンドをちりばめたC社デザインのペニスケース(あくまで噂だが)まで、惜しみなくプレゼントを贈った。
 しかし、誰もが彼を愛していたわけではない。イーヴリン・ウォーは小説『大転落』の中で、ハッチソンのことをこき下ろしている。彼への恨みが尽きない夫や父親もたくさんいるだろう。
 1 9 3 0 年に、とある社交界の令嬢を妊娠させたことでスキャンダルに巻き込まれそうになり、その2年後には、マウントバッテン卿とその夫人が、ピープル誌が夫人の「有色人種の男性との関係」を記事にしたとして訴訟を起こした。
 夫妻は勝訴したが、ハッチソンは干されることとなる。相変わらず、コンサートホールと女性の寝室の両方でパフォーマンスを続けていたが、報酬はどんどん下がっていった。1969年に69歳で亡くなったとき、ハッチソンは一文無しだったという。


80歳の花嫁を迎えた男 チリ人のレイムンド・ド・ラレインは、1950年代後半に、ジョルジュ・ド・クエバスの「おいっ子」としてパリに現れた男である。 
 ジョルジュおじさんは、モンテカルロ・ロシア・バレエ団を経営していたが、これは、妻のマーガレットの援助を受けて買収したものだった。彼女はジョン・D・ロックフェラー・シニアの孫で、世界一の大富豪の1人である。レイムンドは衣装やセットのデザインを担当し、おじさんの死後にはバレエ団の経営を引き継いだ。
 マーガレット・ド・クエバスがバレエ団を閉鎖することになり、彼は新たなパトロンとして伯爵夫人ジャクリーン・ド・リブと親しくなった。伯爵夫人がバレエ団に嫌気を感じるようになると、彼はヴォーグ誌やライフ誌のカメラマンに転身する。
 その後マーガレットの元へ戻るのだが、その頃すでに「おばさん」はミス・ハヴィシャム(ディケンズ作『大いなる遺産』に出てくる、なかば常軌を逸したような老婦人)のような姿に変わり果てていた。
 風呂もろくに入らず、白粉がこびりつき、寝室用のスリッパを履いた彼女は、貴婦人というよりはホームレスに近かった。レイムンドは、彼女の身なりを整えて社交界に戻れるように取り計らう。
 そして1977年、42歳のときに、80歳の彼女と結婚した(結婚式では、車いすと新しい歯をプレゼントしたという)。 1985年にマーガレットがマドリードで亡くなってから、骨肉の争いが始まった。マーガレットの子供のエリザベスとジョンが、すべてを夫に委ねるとした彼女の遺言に異議を唱え、レイムンドが「病気の高齢女性の信頼を利用した巨額の詐欺」を働いたと主張したのだ。
 これに対し、レイムンドは、「マーガレットは子供たちに見捨てられたと感じており、すでに彼らには十分な額を与えている」と反論した。
 2年後に判決が下り、両者で遺産を半分ずつ分けることになった。金額は、誰の言い分を信じるかによるが、1600万米ドルから6000万米ドルの間のようである。
 この半分の遺産を使えるようになってから、わずか1年でレイムンド自身も亡くなった。

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プレイボーイ兼外交官のポルフィリオ・ルビロサと、フランス人女優ダニエル・ダリュー。1942年9月26日にヴィシーの市庁舎で結婚式を挙げたばかりの2人。

娘アシーナの出生証明書にサインするティエリー・ルーセル。最初の妻であるクリスティーナ・オナシスとの間に生まれた子供だ。

新婚のティエリー・ルーセルとマリアンヌ・ランドハーゲ。ティエリーの5歳の娘アシーナ(中央)と、夫妻の3歳になる娘サンドリーヌ(母親に抱かれている)もブライズメイドを務めた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 04
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