Concorso d'Eleganza Villa d'Este Reportbr
THE AGE of ELEGANCE
蘇る「旅の時代」
September 2017
ヴィラ・デステとは別にパーティ会場となったヴィラ・エルバ。テーマにちなんで、玄関には古代中国の兵馬俑のレプリカが。ディナーの部屋も「オリエントの間」「アメリカの間」といった名前が割り当てられ、エキゾティックなデコレーションが施された。
競うのは、速さではなく美しさ 計8クラスのなかで最も色気ある車たちが集っていたのは「プレイボーイの玩具たち」と名付けられたクラスである。部門賞となったランボルギーニ・ミウラの初代オーナーは、エイドリアン・コナン・ドイル。聖書とシェークスピアに次ぐロングセラーといわれる「シャーロック・ホームズ」の作者アーサー・コナン・ドイルを父にもつ彼は生前、ホームズの続編プロデュースを手がけた。
だがそれ以上に知れ渡っていた彼の肩書きといえば「プレイボーイ」「浪費家」だった。ミウラも自身でファクトリーに出向いてオーダーしたものだった。特注のレッドに緑のストライプ、シートも標準のビニールではなく本革を指定したその車は1968年スイスのシャトーに納められた。不幸にも彼は僅か2年後にこの世を去るが、車からは本人の趣味人ぶりが今も漂う。
ディーン・マーティンが所有していた1962年ギアL6.4も面白い。当時デトロイトのクライスラーで作られたシャシーはニューヨークまで鉄道輸送されたあと、大西洋を越えてイタリア・ジェノヴァ港まで運ばれた。そのあとトリノの車体工房「ギア」でボディが架装されたのち、往路と同じ道を辿ってデトロイトで完成、という“世界一長い生産ライン”によって生まれた車だった。生涯三度の結婚をし、スター生活を送ったマーティンにとって、その車はまさに玩具であったろう。だが同時に、貧しいイタリア系移民家族出身の彼による故郷へのリスペクトだったに違いない。彼の車は「時代を象徴する職人気質賞」に選ばれた。
もう1台、「スピードが生んだシェイプ」クラスにも洒落たヒストリーを秘めた車があった。「最もアイコニックな車」賞に選ばれた1960年フェラーリ250GTベルリネッタSWBはジェントルマン・ドライバー、ジェラール・スピネーディの車だった。彼はこの車で61年ジュネーヴ・ラリー優勝をはじめレースで勝利を収めてゆく。フェラーリのカラーとしては決して多くないゴールドをオーダーしたのは、本人が愛したイラン人妻の髪が美しいブロンドだったからという。なんと粋な理由だろう。
旅とスピードにロマンを追い求めていた時代の車たちは、男性が最も輝いていた時代の車たちでもある。今年のヴィラ・デステも、それを静かに物語っていた。