BLACK VENUS RISING

立ち上がる黒きヴィーナス

April 2018

text david smiedt

夫兼マネージャーであり、彼女のイメージチェンジを手助けしたジュゼッペ・ペピート・アバティーノと。

 それでも1973年になると人々の姿勢は大きく変化することとなる。ベイカーはこの年、スタンディングオベーションに迎えられながらニューヨークのカーネギーホールの舞台に立ったのだ。舞台の上で彼女は、歌や踊りを披露する前に涙を流したという。

 結婚による幸せこそ長続きしなかったものの、ベイカーはさまざまな生い立ちを持つ12人の子どもを養子に迎え、愛情深い母親であることを身をもって示した。彼女は子供たちを“虹色の一族”と呼び、自分の行動は、民族や宗教が違っても子供たちはきょうだいになれることを証明するためのものだと語った。

 デビュー50周年を記念し、パリのボビーノ劇場で行われた回顧レビューでは、自身で主役を務めた。1975年に行われたこのショーには、ジャクリーン・ケネディとモナコ公国のグレース妃が資金を提供し、ライザ・ミネリ、ミック・ジャガー、ソフィア・ローレン、シャーリー・バッシー、ダイアナ・ロスなどが初日のゲストとして駆け付けた。

 脳溢血に見舞われたベイカーがベッドで発見されたのは、その4日後だった。その後間もなくこの世を去った彼女は、正式な軍葬の礼をもってフランスで葬られた初めてのアメリカ人女性となった。葬列には、彼女の死を悼む2万人を越える人々が参加した。ジョセフィン・ベイカーは、最後まで大観衆の前で演じ切ったのだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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