BLACK VENUS RISING

立ち上がる黒きヴィーナス

April 2018

text david smiedt

ポートランドプレースのベアード・テレビジョンスタジオでポーズをとるベイカー(1933 年)。

 ベイカーはフランスのレジスタンスのみならず、アメリカやイギリスのスパイにも情報を伝達した。情報の入手方法は、自分の公演に押し寄せるドイツ人支配者層の話を盗み聞きするというものだった。さらにベイカーは、文書を秘密裏に届ける任務を何度となくこなした。あぶり出し用のインクで情報が記された楽譜を持って、パリのさまざまな場所を行き来したのだ。こうした努力に対し、ベイカーはクロワ・ド・ゲール勲章とレジスタンス勲章を授与されるとともに、シャルル・ド・ゴール将軍によってレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエに叙された。アメリカの将軍ジョージ・スミス・パットンも、特筆すべき人物として彼女の名を挙げた。

それでも色濃く残る人種差別 終戦後、彼女は公演のためにアメリカへ帰国したが、再びきわめて露骨な拒否反応を示された。しかし、ベイカーはここでも本領を発揮し、人種差別が行われているクラブでの公演を拒否するという行動で、不当な仕打ちに立ち向かった。また、ラスベガスの公演会場に対しても、自分の出演を予約したいのであれば、観客を人種差別しないことが条件であると伝え、アフリカ系アメリカ人パフォーマーの先駆者となったのだ。これもまた、時代が違えば十分に通用するスタンスだった。だが、実際はうまくいかなかった。

 かくしてベイカーは、アメリカで急速に拡大する公民権運動において、最も雄弁な人物のひとりとして活躍することになる。中でも女性はきわめて稀有であった。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが“I have a dream”で有名な演説を行った1963年のワシントン大行進においても、ベイカーはマイクで演説をした唯一の女性だったのだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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