BLACK VENUS RISING
立ち上がる黒きヴィーナス
April 2018
作家アーネスト・ヘミングウェイに“最もセンセーショナルな女性”と賛美されたジョセフィン・ベイカーは、自然体でカリスマ性にあふれていた。
女優からスパイへ 自信に満ちあふれた芸によって衝撃と刺激をもたらしたベイカーは、1000人以上から結婚を申し込まれた。彼女のことを、アーネスト・ヘミングウェイは「過去、現在、未来における最もセンセーショナルな女性」と賛美し、パブロ・ピカソは「現代のネフェルティティ」と形容した。彼女は“黒いヴィーナス”として広く知られるようになり、ヨーロッパでも指折りのエンターテイナーとなった。そしてほぼ一夜にして、その素晴らしさを称える産業を生み出したのだ。
幼い少女らはバナナスカートをはいた小さな人形を買い求め、乙女たちはお金を貯めてジョセフィン・ベイカーの香水を手に入れた。お洒落なマドモアゼルたちも、彼女のボブを真似したがり、髪をまっすぐ整える“ベイカーフィックス”という整髪料を我先にと購入した。リヴィエラとドーヴィルでは、女性たちがベイカーのチョコレート色の肌を目指して、日焼けした肌にくるみオイルをたっぷり塗った。
フランス人の映画愛とベイカーへの愛が必然的に融合した結果、彼女は『はだかの女王』や『タムタム姫』といった長編映画にも出演することになる(彼女は歌も見事だった)。こうした成功がもたらした資金で、彼女はフランス南西部に地所を購入し、イーストセントルイスから家族を呼び寄せることができた。
もし、そこですべてが終わっていたならば、ベイカーは今日でも、ガルボやピアフのような人々に混じって思い出されるアイコンだっただろう。だが、この物語が終焉を迎えるのはもっと先なのだ。1936年、フランスで花形となっていた彼女は、そろそろ米国も初の黒人スーパースターを受け入れる準備ができただろうと考えた。だが、それは大きな誤算だった。かつて彼女に国外への脱出を余儀なくさせた人種差別は、ますます根深くなっており、公演のたびに野次が飛ぶありさまだった。ニューヨーク・タイムズも、彼女を“黒人の尻軽女”呼ばわりした。
ベイカーは幻滅と傷心のうちにフランスへ戻ると、ジャン・リヨンという名の裕福な実業家と結婚し、フランスの市民権を取得した。市民権の取得は、生まれ故郷の偏見に対する拒絶であり、その偏見を乗り越えさせてくれた国を受け入れる行為であった。そうして約3年後、ナチスがフランスを占領したことで、彼女はフランスへの忠義を行動で示すよう求められることとなる。彼女はフランスの防諜機関のトップであるジャック・アブテーに採用され、秘密のスパイとして働くことになったのだ。ナチス側から見れば、これは死刑の理由に十分なり得る犯罪であったため、ベイカーにとっては、もし見破られれば直近の役が最後の役になってもおかしくない状況だった。