Thursday, November 3rd, 2016

BIRTH OF A LEGEND:
THE ROLEX ‘PAUL NEWMAN’ DAYTONA

伝説の誕生―ロレックスの
“ポール・ニューマン”デイトナ

by wei koh

情熱はレースへ注がれた 彼はアメリカ屈指の映画スターだったが、その俳優生活を通じて、ジェームズ・ディーンのように怒りを爆発させることもなければ、マーロン・ブランドのように欲望を剥き出しにすることもなかった。また、スティーブ・マックイーンのように他人の妻を奪ったりもしなかった。

 ニューマンは過剰なまでに控え目で、腰が低かったのだ。実際、ニューマンが演技以外でアグレッシブな一面をのぞかせたのは、彼が情熱を傾けたもうひとつの世界、カーレースにおいてのみだった。

 ニューマンがレーサーの道を歩み始めたのは、自身の映画である『レーサー』のために訓練をしていた1969年のことだ。スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカの1972年のイベントで競技に初参戦した彼は、そのうち耐久レースにも挑戦するようになり、1979年のル・マン24時間レースではポルシェ935を駆って2位入賞、およびクラス優勝を果たした。1980~ 90年代にかけてはダットサンを操り、ボブ・シャープ・レーシングチームのために走り続けた。そして1995年のデイトナ24時間レースでは、参加したクラスにおける最高齢での優勝を成し遂げた。

 一方、60年代のロレックスは、フロリダのデイトナレースの公式タイムキーパーを引き受けることにより、耐久レースと深い関わりを持つようになった。

 当時のロレックスは、すでに3つの素晴らしい看板時計を生み出していた。世界一有名なダイバーズ・ウォッチである“サブマリーナー”、世界初のGMTウォッチである“GMTマスター”、そしてネパールのシェルパ、テンジン・ノルゲイのエベレスト登頂をきっかけにして生まれた“エクスプローラー”だ。ロレックスの信条は、スポーツウォッチ界のすべての分野を制覇することだった。しかし当時のロレックスは、レース等のイベントで正確なタイム計測を可能にするスポーツ・クロノグラフの分野では、他社に後れを取っていた。特にNASAが宇宙時計として、ロレックスのクロノグラフではなく、オメガのスピードマスターを選んだことは、大きな痛手であった。

 しかし、ロレックスが直面していた真の課題は、Ref.3529やRef.6234(通称“ジャン=クロード・キリー”)といった同社の過去のクロノグラフが、マーケットの中で、他のモデルほど輝かしい地位を得られなかったことだった。Ref.6238がジェームズ・ボンドの時計として『女王陛下の007』に登場したことでさえ、ロレックスのクロノグラフの売上にはほとんど貢献しなかった。もっとも、シリーズ史上一番人気のないボンド、ジョージ・レーゼンビーが着用したことも、不振の一因だったのかもしれないが。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 07
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