BIRDS of PLAY
セレブの巣、ストーククラブの伝説
August 2023
マンハッタンのストーククラブのエントランス。
2018年、ボナムスのオークションで、直径12センチの黒く地味な陶器の灰皿が、24,000ドルという驚くべき高値で落札された。その理由は、灰皿の側面に“STORK CLUB”の文字が入っていたからである。
ストーククラブは、1929年から1965年までの間、ニューヨークのマンハッタンに存在した、アメリカで最も有名だったナイトクラブである。フランク・シナトラ、ウィンザー公爵夫妻、アーネスト・ヘミングウェイ、オーソン・ウェルズ、J・ポール・ゲティ、ケーリー・グラント、マリリン・モンロー、ジミー・デュランテなどが上客だった。ゴシップコラムニストでクラブの常連だったウォルター・ウィンチェルの言葉を借りれば、全盛期のストーククラブは、「ニューヨークで、最もニューヨークらしい場所」だった。
ルーズベルトはここでパーティをし、ケネディはプロポーズをした。新聞王のハーストは大きな取引を成立させ、給仕長は20,000ドルのチップを手に入れた。
ストーククラブの名を冠したカクテル(ジン、コアントロー、オレンジとライムのジュース、サワー)も生まれた。ベティ・ハットンがクラブのチェック係を演じる映画『The Stork Club』(1945年)も製作された。この映画のキャッチフレーズは、“ニューヨークで最もきらびやかなナイトスポットで、最も華やかな人々が、最も愛に満ちた時間を過ごす”というものだった。 このファンタジアを演出したのは、オクラホマ州出身のシャーマン・ビリングスリーという人物である。彼はコウノトリのように華やかな存在だった。もともと田舎町に住む密造酒製造者だったが、夜遊びの興行師として再出発した。
彼はソックガーターのバックルからシャツのカラーステー、時計に至るまで、身に着けるもの、持ち歩くものすべてが金でできていると自慢するのが好きだった。富豪たちと話をするときによく“goshgolly”や“holy-moly”といったスラングを使っていた。
彼は、ストーククラブのVIPスペース“カブルーム”を回り、「このテーブルの会計は不要だ」(ネクタイに手をかける)、「シャンパンのボトルを送れ」(テーブルに手を置き、手のひらを上に向ける)などスタッフに手でサインを送っていた。女優ジョーン・クロフォードもその恩恵にあずかったひとりである。彼女は、このクラブの“なんでもあり”な雰囲気を楽しんでいた。
「母親が娘のボーイフレンドを盗んで結婚するのを見た」と、彼は未発表の回想録に書いている。
「妹のボーイフレンドを盗んで結婚した姉もいた。騙されたほうは狂ったようになっていた。これらはすべて上流社会の人々の話だ」