Tuesday, July 24th, 2018

AN AFFAIR TO FORGET
セックス、ドラッグ、死、そして“甘い生活”

“パパラッチ”の誕生

 イタリア共産党が、政界の既成勢力全体が腐敗している証拠として事件を利用しようとし、カラビニエリ(イタリアの憲兵隊)も捜査を始めたことで、事態は山場を迎えた。一連の訴えは、まともに取り合ってもらえなかったある女性の主張というレベルを超え、新聞や雑誌のコラムは風刺や非難で溢れかえり、ヨーロッパ史上初の“メディアによる裁判”といえる狂乱状態となった。フォトジャーナリストたちも、関係者のインパクトある写真を撮るためなら手段を選ばず、張り込みやカーチェイスといった当時としては新しい取材手法を生み出した。
 最終的には、カーリオの証言がぎこちなく、矛盾を含んでいたことが原因となり、すべての被告人に対する起訴が取り下げられてしまった。しかし、事件の残した影響は甚大だった。イタリア警察トップのパヴォーネや、外務大臣のアッティリオ・ピッチオーニは辞任を余儀なくされた。最も多くを失ったのはウーゴ・モンターニャだった。カラビニエリの報告書によって、モンターニャは貧しいシチリア人の両親のもとに生まれた狡猾な悪党だと暴露された。彼は30年代、ローマとシチリアをぶらぶらし、不渡り小切手を振り出しては、自分は地位の高い専門家だと吹聴していたという。彼は何度か辛うじて投獄を免れていたのだ。
 ローマに居を定めた後は、多くの高位者の肉欲を満たすことを目的に、いかがわしい女性たちを自宅に頻繁に招いていた。戦時中、この高位者とはナチスの幹部だったが、常に長いものに巻かれるタイプだったモンターニャは、戦争が終わると勝者である連合国側に鞍替えした。さらに報告書によると、モンターニャは第三帝国やOVRA(ファシスト政権下のイタリアの秘密警察)のために諜報活動までしていたという。これにより、共産党の日刊紙で厳しく批判されることになった。
 だが、カラビニエリの包括的な報告書も、膨大な時間を費やした裁判も、ウィルマ・モンテージの身に具体的に何が起きたのかを明らかにすることまではできなかった。謎は今でも解明されていないのだ。この事件の全容に関する真実を知ることは不可能だとしても、モンテージ事件は当時を顧みる現代人に多くのことを教えてくれる。有力なエリート権力者たちの“甘い生活”の下に、じめじめした暗部が潜んでいるケースがいかに多いのかということ。そして、インターネットが登場する何十年も前に、政治や司法がパパラッチ行為といかにして結び付いたのか、ということだ(ちなみに、“パパラッチ”という語は、『甘い生活』に登場するカメラマンの名前、パパラッツォに由来している)。
 今日の政治家にとって重要なことは、民主主義におけるこの最大級のスキャンダルが、今ではほとんど語られていないという事実だ。世間に恥をさらすのはほんの一時である。シルヴィオ・ベルルスコーニも安心していいかもしれない。彼の悪名を数十年先までしっかり覚えているのは、おそらく波瀾万丈なイタリアの歴史を知り尽くす、ほんのひと握りの学者くらいなのだから。

砂に描かれた輪郭は、オスティアのビーチでウィルマ・モンテージの遺体が発見された場所を示している。

映画『甘い生活』のラストシーンでのマルチェロ・マストロヤンニ。乱痴気騒ぎを終え、朝を迎えた退廃的なジェット族の一団が、海岸に打ち上げられた巨大な魚を発見するというエンディングは、モンテージ事件をきわめて象徴的な形で示唆していた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 23
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