金沢を代表するファッショニスタ
矢野博也さん
Wednesday, October 10th, 2018
矢野博也さん
矢野工作所 常務取締役
text kentaro matsuo photography tatsuya ozawa
金沢を代表するファッショニスタ、矢野博也さんのご登場です。矢野さんは矢野工作所という、精密機械部品を製造する工場を経営なさっています。その技術力は高く、世界中にクライアントを持っているそうです。
「イタリアやフランスをはじめ世界中の紡織工場に製品を納めています。テキスタイルの世界では、織機の緯糸を飛ばすのに水を使うのですが、そのノズルの部品は我が社のものが世界一なのです」
専門的すぎてよくわかりませんが、とにかく、ある特定の分野でスゴイ技術を持っているところが強みなのでしょう。技術大国ニッポンの面目躍如といったところです。
矢野さんは、地元のみならず東京でも、ファッショニスタとして有名で、いつも素晴らしくお洒落な格好をなさっています。しかし、これはあるときのイタリア行きがきっかけだったとか・・・
「今から20年くらい前だったと思いますが、ミラノにあるドルチェ&ガッバーナのストアへ行ったのです。私が『試着させて欲しい』というと、『お前みたいな貧弱な体のヤツに、似合う服はないよ』と冷たく言われたのです。そして試着すらさせてもらえなかった。これはショックでした。そこで、日本へ帰ってから一生懸命トレーニングして、体を作って、翌年もう一度同じ店へ行ったのです。そうしたら同じ店員が私のことをキチンと覚えていて、今度は何でも試着を許してくれたばかりか、普通では手に入らない限定アイテムも売ってくれるようになったのです。それからその店員とは、いい友達になりました(笑)」
えええ、マジですか! 今なら有り得ない話ですね。店員も店員なら、一年後のリベンジを果たした矢野さんも矢野さんですねぇ・・。
スーツはアットリーニのス・ミズーラ。オーダーは丸の内のビームスにて。
「ナポリの服が好きなのです。ダルクオーレやスティレ・ラティーノなどもよく着ています。ナポリの服は、基本的に胸板が厚く、体が出来ていないと似合わないと思うのです。だから体を鍛える意欲が湧いて来ますね」
確かにパッドや芯地をとことん省いたナポリ仕立ては、着る人の体型を如実にトレースしてしまう服と言えますね。
シャツはルイジ・ボレッリのス・ミズーラ。これも丸の内ビームスにて。
「“齊藤さん”という懇意にしているスタッフがいて、ス・ミズーラは、いつも彼に採寸してもらいます。ミリ単位の違いなのですが、彼のサイジングは完璧なのです」
ビームスさん、さすがです。
タイはマリネッラ、チーフはムンガイ。もう気持ちいいほどの、モノトーン・スタイルです。
ホワイトゴールドの時計は“エドワード ピゲ”。かつてオーデマ ピゲが出していた、角形時計の名品です。
「この時計は父親から譲り受けました。私の父は私同様に時計が好きなのです。私がスイスのオーデマ ピゲの工房へ視察に行くと言ったら、こっそりとこの時計を出して来て、『実は俺も持っているんだ』と言われ、驚いたことがあります」
シューズは、ステファノ・ベーメル。
鞄はご存知、エルメスの“サック ア デペッシュ”私も20年来、欲しい鞄です(たぶん一生買えそうもないけど)
「2年ほど前に、パリの本店で買いました。実は私はサック ア デペッシュという名前を知らなかったのです。しかしショーウィンドウで見て、なんてスゴい鞄なんだろうと思いました。オーラが出ていましたね。そこで即買いしたのです」
矢野さんは、とても若々しく見えますが、実はもうお孫さんがいます。
「子供たちが巣立って、孫が生まれました。そして50代半ばにして、ようやくエレガントが追求できる歳になったのかなと思います。40代までは、まだトレンドというものに捕われていた。やれブリティッシュとか、ナントカ。何かしらアピールしようとしていた。今日のコーディネイトは、色柄もなく、まったく普通なのですが、やっとこういう格好が出来るようになりました」
なるほど、私が存じ上げている、本当にお洒落な方々は、皆同じようなことを仰いますね。
そういう矢野さんのお洒落原体験は、お爺さまだとか。
「祖父はお洒落な人でした。年に2回、必ず家にテーラーを呼んで、スーツを誂えているような人でした。外出するときは、いつもステッキを持って、帽子を被っていたのを覚えています。死に際に入院しているときも、病室に時計屋を呼んで、1本買っていましたね。その時計をしたまま、亡くなってしまいました」
矢野さんのような人が“オジイちゃん”だとは信じられませんが、きっと彼のお孫さんも、とびきりお洒落な御祖父に感化されていくのでしょうね。