THE PASSION OF MONZA

モンツァの情熱:エンツォ・フェラーリ

February 2023

エンツォ・フェラーリは、モータースポーツに対する並外れた情熱を持っていたが、商売人としては失格だった。彼はビジネスを犠牲にしてでも、地球上で最も速いクルマを作ること、そしてレースに勝つことに執念を燃やしていたのだ。

 

 

by chris cotonou

 

 

 

 

 

 エンツォ・フェラーリの絶頂期とされる1950年から68年にかけて、彼は絶え間ない情熱と最高のエンジニアリングによって、モータースポーツ界のアイコンとして後世に残るようなクルマを生み出した。

 

 マウロ・フォルギエリやジョバンニ・ミケロッティなどのデザイナーが、ロードカーとサーキットカーの両方に魅力と個性を与えるために招かれた。当時のF1マシンは、目を見張るようなスピードと、イタリアン・ビューティーを両立するよう作られた。

 

 

 

 

 イタリア北部の都市モンツァにあるサーキットが完成したのは1922年のことで、世界で3番目に古いサーキットである。F1世界選手権が始まった1950年より、イタリア・グランプリは毎回モンツァで開催されている。4本のロングストレートを3つのシケインと2か所の複合コーナーで結んだ超高速コースであり、平均速度、最高速度ともに現在F1が開催されているサーキットの中で最も速い。

 

 F1の期間中、モンツァはフェラーリ一色となる。毎年、数千人のティフォシ(イタリア語で熱狂的なファン)が集い、最新グッズを身に纏い、チームを応援する。街中の建物にはフェラーリの旗や横断幕が掲げられ、赤や黄色で埋め尽くされる。シルバーストーン以外では、間違いなく世界一の大騒ぎだ。

 

 ここではフェラーリのドライバーたちも熱狂的な歓迎を受ける。ニキ・ラウダ、ミハエル・シューマッハ、アルベルト・アスカリ(1949年にモンツァで初優勝、1951年にGP初優勝)といった、かつての英雄たちと同じように。

 

 

 

 

 彼らはプランシング・ポニーを崇め、シューマッハのようにチームが苦境にあるときもその一員であることを選んだドライバーたちである。モンツァは常にドライバーたちに希望を与え、勝利へと駆り立ててきたのだ。

 

 モンツァで勝利することは、フェラーリにとって他のどこで勝つよりも重要なことだ。シューマッハが2000年に優勝したのは有名な話だが、このときの多重事故で吹き飛んだタイヤによりコースマーシャルがひとり亡くなっている。2010年には新鋭のフェルナンド・アロンソが再び優勝した。

 

 さらにその9年後の2019年、シャルル・ルクレールがモンツァで勝利を収めた。ルクレールが叫びながらフィニッシュラインを通過する映像は、このサーキットの歴史の一部となった。

 

 モンツァはフェラーリ、そしてすべてのイタリア人にとって特別な場所だ。「祖国に錦を飾る」ことは、エンツォの時代からフェラーリに課せられた使命なのである。