STYLE HEROES: DAVID NIVEN

スタイルヒーローズ:デヴィッド・ニーヴン

June 2020

 

 米国に戻った最初の年は、不幸に見舞われた。 1946年、俳優タイロン・パワーの家でのパーティーにおいて、ニーヴンの妻で、ふたりの幼い息子の母親であったプリミュラ・“プリミー”・ロロが、かくれんぼ遊びをしている最中に、転落事故を起こし、亡くなったのだ。彼女を失って、​​ニーヴンは非常にショックを受けた。

 

 1940年代後半は、駄作ばかりに出演し、彼のキャリアの中でも苦しい時期だった。しかし、50年代になると、ヒット作に恵まれ、オットー・プレミンガーの問題作『月蒼くして』(1953年)や『悲しみよこんにちは』(1958年)などの成功で再び一歩を踏み出した。 1956年には『80日間世界一周』がスマッシュヒットとなり、1958年のドラマ『旅路』では、ニーヴンがアカデミー賞の主演男優賞を受賞した。

 

 注目すべき60年代の作品には、『ピンクの豹』(1964年)やコメディ版ジェームズ・ボンド、『007カジノロワイヤル』(1967年)が含まれる。最終的にニーヴンは、007を演じるというフレミングの願いを叶える機会があったのだ。

 

 

ライトなトラウザーズ、ホワイト・シャツ、素足にローファー、そして無造作に肩にかけたニット。デヴィッド・ニーヴンは、1960年代のリヴィエラ・ライフスタイルを完璧に体現している。

 

 

 俳優としての活動の他に、彼はテレビ・コンテンツ・スタジオ、“フォー・スター・プロダクションズ”を共同設立し、1950年代と60年代を通じて大きな成功を収めた。ニーヴンはまた、本の執筆も始め、1971年の自叙伝は500万部以上を売り上げた。

 

 収入は膨大となり、税金から逃れるために、スイスに亡命するほどだった。彼はグシュタードの近くのシャトー・デーに居住した。

 

 彼はフランス、プロヴァンスのサン=ジャン=カップ=フェラに、サマーハウスを購入した。19世紀に建てられたヴィッラで、ボーリュー=シュル=メールの景色が一望できた。これはファッショナブルな海辺の町で、1964年にニーヴンとマーロン・ブランドが出演した映画『寝室ものがたり』に出てくる海辺の町、ボーモント=シュル=メールのインスピレーションのもととなった(そして1980年代には『ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ』としてリメイクされた。

 

 

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