STYLE HEROES: DAVID NIVEN
スタイルヒーローズ:デヴィッド・ニーヴン
June 2020
オベロンと別れた後、ニーヴンは“スィロウスィス・バイ・ザ・シー(海辺の肝硬変)“と呼ばれるマリブのビーチハウスをフリンとシェアしたことで有名だ。ここでふたりは、ハンフリー・ボガート、ダグラス・フェアバンクス・ジュニア、フレッド・アステアなどのハリウッドの仲間のためにパーティーを主催し、大量のアルコールを消費し(バンガローのネーミングはここから来た)、女、酒、違法な薬物をやりまくった。
パーティーは1939年のナチスのポーランド侵攻によって一時的に終了した。彼が徴兵される可能性はほとんどなかったが、第二次世界大戦が勃発すると、ニーヴンはすぐに英国に戻り、軍に復帰した。自己中心的で放蕩三昧の日々を一時停止するにあたり、「私は戦争によって、完全に腐った生活から救われた」とニーヴンは述べた。
彼は最初、フランスでライフル連隊に所属し、その後、“ファントム”と呼ばれる特別偵察部隊、GHQ連絡連隊に入隊、コマンド部隊として編成され、ノルマンディー上陸作戦にも参加した。
ニーヴンは戦争中、ウィンストン・チャーチルと何度か出会っている。英国首相は、「若者よ、あなたは祖国のために戦うために、映画のキャリアをあきらめた。それは素晴らしいことだ。いいかね、もしそうしなかったら、卑怯者と呼ばれていただろう」と述べた。
従軍中の彼は際立っており、大戦中を通じて、大尉から中佐まで昇進を果たした。
その後の人生では、彼は戦時中の経験をほとんど語らなかった(ジョークを除いて。「戦争に行ったことは、私がこれまでしたことの中で、唯一、自己中心的ではないことだった」)。
しかし、戦争の間も、彼は決して怯えてはいなかった。戦場特派員から、前線での生活がどのようなものか尋ねられたとき、ニーヴンは「う〜ん、全体的には・・私はジンジャー・ロジャースのおっぱいをくすぐっているほうが好きだね」とジョークをとばした。
連合軍の勝利の後、彼はハリウッドに戻り、演技のキャリアを再開した。