STYLE HEROES: DAVID NIVEN
スタイルヒーローズ:デヴィッド・ニーヴン
June 2020
そんな家庭環境は、若年期のニーヴンを非行に導いた。彼は自分自身を、小さな犯罪を犯しがちな“毒のある小さな男の子”であったと揶揄している。彼の悪行がひどくなると、両親は彼を寄宿学校に預けっぱなしにした。「そこでは、たくさんいじめられた。いつもぶん殴られていた」とニーヴンは語っている。こうして彼の“いかにして人に好かれるか”という試みが始まったのだ。
リベラル志向のストー校に移った後、ロンドンの売春婦と関係を持ち、ニーヴンは生涯にわたる肉欲的な楽しみを追求し始めた。
「私は14歳のヘテロ・セクシャルの男子生徒だった」と彼は思い起こす。
「私が最初にネッシー会ったとき、彼女は17歳だった。ハニーブロンドで、“美しい”というよりは“かわいい”感じだった。官能的だが、どこかイノセントな肢体と、とても長い脚を持っていた。彼女はピカデリーの売春婦だった」
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ネッシーから“愛の行為”の教育を受けたニーヴンは、サンドハーストのロイヤル・ミリタリー・カレッジに進学し、戦術について学んだ。彼はその後イギリス陸軍に加わり、中尉に任命された。しかし名門のキルトを許された、アーガイル&サザーランド・ハイランダーズ歩兵連隊には入れず、代わりに目立たないタータン・チェックのトラウザーズを身につけたハイランド軽歩兵隊に従事することを余儀なくされた。
軍隊を辞め、1930年代初頭にニーヴンはアメリカに向かい、さまざまな映画で端役を演じ始めた。 MGM製作『バウンティ号での叛乱』における演技は、伝説的なスタジオ・ボスのサミュエル・ゴールドウィンの目に留まり、MGMと週100ドルの契約に署名するに至った。
彼はすぐに正真正銘のスターとしてのステータスを獲得した。友人のエロール・フリンと共演した『バラクラヴァの戦い』、ジンジャー・ロジャースと共演した『バチェラー・マザー』、オリビア・デ・ハヴィランドとの『ラッフルズ』、ローレンス・オリビエとマール・オベロンとの『嵐が丘』などの映画に出演した。オベロンとは同棲までしていたが、他の恋人と同じように、彼はひとりの女に忠実であり続けることができなかった。