JAMES BOND'S GREATEST WATCHES

ジェームズ・ボンドの愛した時計

March 2020

 

 1970年代にロジャー・ムーアがボンド役を引き継いだとき、彼は最初のふたつの映画『死ぬのは奴らだ』(1973年)と『黄金銃を持つ男』(1974年)でサブマリーナーの伝統を引き継ぎ、同じモデル(実際には、おそらくまったく同じ個体)を着用した。 『死ぬのは奴らだ』は、1980年代における長いムーア時代の皮切りとなり、彼は時折デジタルウォッチ、例えばハミルトン パルサー LEDなども身につけていた。

 

 

 

 

 ここで忘れないでほしいのは、70年代のデジタル時計は最先端の技術であり、その初期は非常に高価で、当時のステータスシンボルであったということだ。

 

 ムーアは、『私を愛したスパイ』(1977年)では、ロレックスGMTマスターと共に、超小型のテープによる通信装置を備えたセイコー0674 5009液晶デジタルを身に着けていた。『ムーンレイカー』(1979年)では、さらに別のセイコー、M354メモリーバンクカレンダーが使われた。これはQの部署による改造で、小型爆弾と遠隔起爆装置を備えていた。

 

 

 

 

 日本のブランドは『ユア・アイズ・オンリー』(1981年)でも採用された。クォーツを動力とする600m防水のセイコー7549-7009ダイバーズ ウォッチは、ボンドと水中で行動をともにし、アナログ/デジタル時計のH357デュオ ディスプレイは、MI6本部からのメッセージを受信した。

 

 ムーアは、『美しき獲物たち』(1985年)ではフォーマル時にはロレックス デイトジャストを着用し、防水時計が必要とされる場面では、セイコー7A28-7020(史上初のクォーツ・アナログクロノグラフ)に着け替えている。

 

 セイコーの時代は、ムーアの引退をもって終わった(リッチではない人でも、ボンドウォッチが買える時代も終わった)。

 

 彼の後を継いだティモシー・ダルトン(批評家からは“ランボンド”と呼ばれる、機関銃を持ち歩くマッチョマン)は、『リビング・デイライツ』(1987年)にて、タグ・ホイヤー プロフェッショナル ナイト ダイブref.980.031をその手首に巻いた。また『消されたライセンス』(1989年)では、ロレックス サブマリーナーを愛用した。

 

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